トイガン史 1963 ~ 1993 - あるガンマニアの追憶 -
文 出二夢カズヤ
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第6回 1985~1987年 ガスガンの登場 夢のフルオート、セミオート
1984年の暮れに突如発表された新製品、JACバトルマスター。そのデビュー広告には、「サバイバルゲーム専用フルオートエアガン」というキャッチコピーが踊っていた。
すべてのエアガンが、1回の発射につきコッキングを要する、言わば単発式だった時代である。フルオートという言葉の響きに、我々ガンマニアの心がどれだけ激しく揺さぶられたかを想像していただけるだろうか。
塗装用のエアーブラシに使うピースコンボンベ(フロンガス)の圧力でBB弾を飛ばすというアイディアを、トイガン業界に初めて持ち込み、実現した、JACバトルマスター。その形状は、銃身のついたエアーブラシといった趣だったが、エアーコッキングガンしか存在しなかった当時のサバゲーシーンにおいて、30連発フルオートは驚異的な瞬間火力だった。
果たして発売されたバトルマスターは、BB弾の連続発射を可能とする画期的製品だったが、マガジンチェンジに15~20秒程かかる構造と、38,800円という値段の高さから、広く普及するには至らなかった。
しかし、低圧ガスをパワーソースとするアイディアが、新時代への扉を大きく開いたのは間違いの無い事実だ。
そして1985年の春、かのMGCがトイガン業界にさらなる革命を起こした。日本初のセミオートガスガン、ベレッタM93Rの登場である。
ハンドガンでのセミオート射撃という夢を実現してくれた革命的製品、MGC M93R。50万挺という販売数は、当時の全国民の240人に1人が購入した計算になる凄まじさだ。
現在の感覚からすれば、セミオートであることについて、大した驚きは感じないだろう。しかし上述した通り、コッキング式エアガンしか存在しなかった時代の話しである。引き金を引く動作だけでBB弾の連射が可能、しかも、狙った的にきちんと当たるだけの命中精度も備えている。少々大柄とは言え、ハンドガンサイズのままでそれを実現したM93Rは、まさにエアガンの完成形であり、トイガン史上空前の大ヒット商品となった。
しかし皮肉なことに、このM93Rの登場により、同じMGCが普及に努めて来たシューターワンの存在価値が、急激に色あせてしまった。
火薬を使うモデルガンが、こまめな清掃や調整無くしては動かないのに対し、M93Rはほぼメンテナンスフリー。ガスとBB弾さえあれば、いつでも快調な連射が可能で、しかもターゲットを選ばないのだ。多くのユーザーがシューターワンから離れてしまったのも、やむを得ない流れだろう。
事実、シューターワンありきで始まったMGC主催のジャパンビアンキカップも、1985年の第2回大会以降、徐々にエアガンを中心とした競技へと様変わりして行く。
そして同年夏、上述のバトルマスターを発売したJACから、フルオートガスガン第2弾のスターリングL2A3が登場。先代が抱えていた、マガジンチェンジに関する欠点を見事克服した製品仕様と、19,800円という価格設定は、フルオートガスガンを一気に身近な存在にしてくれた。
ブッシュマスター2として発売されたフルオートガスガン、JACスターリング。1977年施行の改正銃刀法で消えたMGCスターリングが買えなかった身として、その登場には狂喜したものだった。
JAC スターリングL2A3の取扱説明書 [懐かしのエアガン・マニュアル]
M93Rとスターリングの登場は、ガスガン時代の幕開けを象徴する出来事だったが、これによってコッキング式エアガンが衰退したかと言えば、そうではなかった。
主なメーカーがガスガンの開発に全力を挙げていた1985年12月、かの東京マルイが、1,900円という低価格で、同社初のコッキング式エアガン完成品、ルガーP08を突如リリース。その商品仕様で、我々ユーザーの視線を釘付けにしたのだ。
2018年の今もラインナップを増やし続けている、東京マルイエアコッキングガンシリーズの第1弾、ルガーP08。それまでのエアガンは何だったんだと思わせるほどの高い命中精度は、業界を震撼させた。
単純なモナカ構造によるマルイ製ルガーの外観は、価格相応のチープなものだったが、この製品の真価は別のところにあった。
それまで発売されてきた主なハンドガンタイプのコッキング式エアガンは、例えば直径10cmの標的を撃って当てようと思えば、3mの距離まで近付かねばならなかった。これに対しマルイ製ルガーは、5mの距離から500円玉を狙い撃てるという恐るべき命中精度の高さを、箱出し、しかも1,900円という低価格で実現してのけたのだ。ユーザーばかりでなく、同業他社がどれほど驚いたかは想像に難くないだろう。
また、初めての冬を迎えたガスガンが、気化効率の悪化によるパフォーマンスの低下を招いたことから、季節を問わず安定した性能が楽しめるコッキング式エアガンの魅力が再燃。ランニングコストの面からも、その手軽な魅力が際立った格好になり、市場はさらなる拡大を見せて行った。
トイガン業界が大きく躍進する中で迎えた1986年、ひとつの事件が起こる。コクサイが発売したリボルバー型ガスガン、M29パワーアップマグナムが、発売直後に警察庁から真正拳銃として認定、違法品とされ、発売禁止と回収が命じられたのだ。
販売禁止前に掲載された、コクサイM29パワーアップマグナムの雑誌広告。蓄圧式カートリッジをハンマーで直接叩く構造が問題となった。尚、2018年の現在でも、所持、流通は禁じられているので注意が必要だ。
幸いなことに、上記M29以外のトイガンに対するお咎めは一切無かったが、モデルガンの規制を体験した世代のマニアとしては、この一件に背筋の凍る思いがしたものだった。
そしてこの年の冬、アサヒファイアーアームズというメーカーから、史上最大のフルオートガスガン、M60LMGが登場。10万円近い価格は、簡単に手の届くものではなかったが、レバー操作による給弾で、500発ものBB弾を撃ち続けられる斬新なメカニズムには、価格以上の魅力があった。急速に普及したエアータンクの存在も、M60LMGの人気を後押ししたと言えるだろう。
アサヒファイヤーアームズが満を持して発売したモンスターガスガン、M60LMG。500発もの連続発射が可能という圧倒的な火力は、サバゲフィールドを席巻した。
1987年になると、主要メーカーから様々なガスガンが続々とリリースされるのだが、外観が違うだけで、内部構造はほとんど同じという製品が少なくなかった。
そんな中、ウエスタンアームズが、老舗メーカーのプライドを懸けた新製品、ヤティマチックSMGを発売する。
フルオートガスガンであるヤティマチックは、本体に内蔵したモーターの力でガスバルブを断続的に開放する仕組みで、連射時の低燃費化を実現。電動ガスガンという新しい概念を生み出した、極めて野心的な製品だった。
特異なフォルムが印象的な、ウエスタンアームズ ヤティマチック。グリップ内にリキッドチャージタンクを備え、単体での射撃も可能だった点も、当時としては革新的だった。
同じ老舗メーカーであるMGCも、日本に紹介されたばかりのキャリコM100という小口径ライフルを、800発もの装弾数を誇るセミオートガスガンとして発売。ガスガンのパイオニアとしての意地を見せ付けた。
1986年に発表されたばかりの実銃をいち早く製品化したことでも話題になった、MGCキャリコM1000。セミオートオンリーではあったが、800発という史上最大の装弾数から、人気は高かった。
トイガン業界では新進の東京マルイも負けていなかった。安くて良く当たるコッキングエアガンのラインナップを充実させる一方で、同社初の、しかも史上初のブローバックガスガン、S&W M59を発表したのだ。
エアコッキングシリーズで充分な成功を収めていた東京マルイが、突然発表したブローバックガスガン、S&W M59。ディフォルメされた形状や、スライド内にチューブ式マガジンを内蔵する構造から、リアルさにはやや欠けていたが、発射のたびにシュコシュコとスライドが動く様は、実に楽しいものだった。
その仕組みは、低圧ガスの圧力で前進させたスライドを、ガス放出後にスプリングで後退させるというもので、玩具畑の匂いがするメカニズムだった。しかし、発射のたびにスライドが前後に動くというギミックをどこよりも早く実現したことは、歴史に残る偉業と言っても過言ではないだろう。
そして1988年初頭。多くのトイガンメーカーが、水面下で開発を進めていた、まったく新しい製品を続々と発表し始める。長物ガスガン最盛期の到来であった。
資料協力:東京マルイ、MGC 小林太三、MACジャパン、コクサイ、東京ボンベーズ
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出二夢カズヤ (でにむ かずや)
1965年6月、埼玉県生まれ。物心ついた時からの鉄砲好き。高校時代に月刊コンバットマガジンの初代編集長と知り合ったのをきっかけに、1985年に比出無カズヤとして、同誌にてライターデビュー。以来1990年代初頭まで、トイガン業界の裏と表を渡り歩く。 ブログ UZI SIX MILLIMETER |
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