トイガン史 1963 ~ 1993 - あるガンマニアの追憶 -
文 出二夢カズヤ
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第1回 1969~1972年 金属モデルガンとの出会い 46年規制
私がいったいいつから鉄砲を好きになったのか、正確なところは自分でもわからないが、幼稚園の時分に父親が与えてくれた、銀色のピースメーカーで遊んでいたことは、53歳になった今でもはっきりと覚えている。1969~1970年頃の話だ。
本体は左右張り合わせのモナカ構造だったが、ハンマーを起こすとシリンダーが回転し、ローディングゲートも開閉。しかもエジェクターロッドがちゃんと動くという本格的な作りで、同時期に存在したブリキ製の玩具の鉄砲とは、比べ物にならないほどリアルな造形のピースメーカーだったように記憶している。
カートリッジが無かったため発火することは出来ず、「バキューン!」と声を出しながら空撃ちをしていたに過ぎなかったが、幼少時の私にとっては、紛れも無く大切な宝物であった。
2017年時点で現存していたマテル製シューティング・シェル45。クロームメッキが施された、純然たるプラスチック製の玩具だが、本体の造形は当時の記憶そのままのリアルさ。この1挺が、私の鉄砲人生の原点である。
現物はとうの昔に紛失しているため、実際のところは確かめようも無いが、年代的に、マテル製のシューティング・シェル45と見て間違いは無いだろう。
そんな当時、子供の足で行ける範囲の玩具店では、モデルガンを売っていなかったのだが、父親がたまに連れて行ってくれたある店では、いくつかの製品が販売されていた。
ショーウィンドウの中に飾られたモデルガンは、鈍く黒光りする金属製で、小学1年生になっていた私は、完全にその迫力の虜になってしまった。
その頃は銃に関する知識などほとんど無く、かろうじて「コルト」という名前を知っていた程度だったのだが、そんな私に、ワルサーP38という銃の存在を教えてくれたのが、1971年から放映されたTVアニメ。言わずと知れた「ルパン三世」の第1シリーズだった。
モーターボートに引っ張られる、千切れた桟橋の突端に乗ったルパンが、手錠をかけられたまま、緑のジャケットの懐から出したワルサーP38を撃つシーン。スローモーションで描かれたその場面には、ブローバックと同時にエジェクションポートから蹴り出されるカートリッジはもちろんのこと、ショートリコイルの様子までもが描写されていたのだ。第11話「七番目の橋が落ちるとき」の、有名なワンシーンである。
もちろんその当時は、そのシーンの本当の凄さ(大塚康夫、宮崎駿という日本屈指のクリエイターが制作に関わっていたことも含む)などわかろうはずも無かったが、ワルサーP38のモデルガンを手に入れようと決意させるに充分過ぎる、あまりに強烈なインパクトだった。
そこから、少ない小遣いをこつこつと貯めるのに、どれくらいの時間がかかったのかは覚えていないのだが、やっと貯まった目標額のお金を握りしめ、その時には自力で行けるようになっていた件の玩具店に、文字通り走った。
さほど広くない店内にぎっしりと詰め込まれたオモチャの山。店主のオジサンが座る丸いパイプ椅子の前に置かれた背の低いショーウィンドウの中に、目指すワルサーP38を始めとするモデルガンが飾られていたのだが・・・
その時の情景は、今でも鮮明に蘇る。
そこに飾られていたのは、かつて見たものとはまったく違う、キラキラと金色に輝くモデルガンたちだった。そう、私が必死で小遣いを貯めている間の1971年に、銃砲刀剣類所持等取締法の一部が改正、いわゆる46年規制が施工され、すべての金属製モデルガンは、白または金色に塗装されることが義務付けられていたのである。
しかし、無邪気な子供が法規制のことなど知る由もなく、むしろ金色に輝くモデルガンに、何やらゴージャスな雰囲気さえ見出していた。
ミリタリータイプとコマーシャルタイプのどちらにするかと店主に聞かれて、迷ったことも覚えている。ルパンが使っているのはどっちだろう・・・。内気な子供故、店主のおじさんに聞くことが出来ず(聞いても知らなかったとは思うが)、どういった根拠か、コマーシャルタイプを選んで購入。生まれて初めての高価な買い物に、ドキドキと胸を高鳴らせながら家路を急いだものだった。
持ち帰った黒い箱の蓋を開けると、金色に輝くワルサーP38と数発のカートリッジが、発泡スチロールのケースに収められていた。この時、同梱されていた小冊子様のカタログを見たことで初めて、このモデルガンがマルシン工業の製品であることを知ったのだから、随分とのんびりした話である。
そのカタログに載っていたUZIにひと目惚れし、入手するまでに6年を要した話しは別の機会に譲るとして、ようやく手に入れたルパンの愛銃、憧れのワルサーP38は、文字通り燦然と輝く宝物だった。
資料協力:マルシン工業
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出二夢カズヤ (でにむ かずや)
1965年6月、埼玉県生まれ。物心ついた時からの鉄砲好き。高校時代に月刊コンバットマガジンの初代編集長と知り合ったのをきっかけに、1985年に比出無カズヤとして、同誌にてライターデビュー。以来1990年代初頭まで、トイガン業界の裏と表を渡り歩く。 ブログ UZI SIX MILLIMETER |
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