トイガン史 1963 ~ 1993 - あるガンマニアの追憶 -
文 出二夢カズヤ
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第3回 1980~1983年 モデルガン全盛期 MGキャップとシューターワン
前回記事と話しが前後するが、ワルサーP38のモデルガンを入手した私は、当然のごとく実銃への興味を抱くようになった。今も手元にある、KKベストセラーズ発行の「世界の拳銃図鑑ザ・スーパーガン第一弾」は、そんな当時の私にとって、教科書とも言える存在だった。
小学生当時の私に実銃の魅力を教えてくれた、KKベストセラーズ発行のザ・スーパーガン。裏面の解説を暗記するほど毎日眺めていたものだ。
そして中学校に上がった1978年頃、今は無き国際出版発行の「月刊Gun」を購入し始めたことで、より深く激しく、鉄砲趣味にのめりこんで行く。誌面で紹介される実銃の、圧倒的な迫力と精緻なメカニズムは、それまで断片的な情報しか持ち得なかった鉄砲好き少年を文字通り夢中にさせた。
すべてのガンマニアの憧れといっても過言ではない、ボブ・チャウスペシャルのレポートが掲載された、Gun誌1981年10月号の表紙。これほど凶暴かつセクシーなカスタムガンは、今後永久に創られることがないだろう。
とりわけ、専属レポーターとして活躍していたイチロー・ナガタ氏(以下、イチローさん)の記事は、単に銃を紹介するだけに留まらない魅力的な内容で、同じ学校に通う鉄砲仲間一同が勉強そっちのけで読みふけり、こぞって真似をしたものだった。
モデルガンの魅力にすっかりとりつかれていた私が、今度こそブローバックするオートマチック型モデルガンを購入したのは、中学2年生になった1979年。それはMGCのABS製ガバメント、いわゆるGM2の、MGキャップ仕様だった。ルパンの愛銃ワルサーP38の次に買ったオートマチックモデルガンが、銭形警部の愛銃であるガバメントというのは単なる偶然だが、今にして考えるとなかなかに面白い。
Gun誌を飾るイチローさんの写真に憧れて撮影した、MGCガバメントのブローバックシーン。シャッターのタイミングはバッチリだが、背景に民家が写り込んで台無しである。
鋭いリコイルとともにスライドが後退し、真鍮製のカートリッジが蹴り出される迫力のブローバックアクション。幼い頃に衝撃を受けた、ルパン三世劇中のあのシーンの感動が、8年越しでようやく再現された思いだった。
そんな迫力のブローバックを可能とした、新しいモデルガン専用火薬「MGキャップ」は、100発で400円と、当時の中学生にはかなり高価な品物だった。しかし、それまで使っていた平玉火薬とは比べ物にならない安定した発火性(不発が少ない)と、激発後の汚れが水洗いだけで落ちるというメンテナンス製の高さは、一度使ったら手放せない魅力に溢れていた。
今も変わらぬデザインで販売されている、7mmMGキャップ。以前は赤い箱の5mmキャップと、緑の箱のスタンダードキャップも存在した。
この「MGキャップ」の登場が、モデルガン業界に革命を起こしたと言っても過言ではないだろう。事実この年以降、MGCのMGキャップ発売を皮切りに、主要モデルガンメーカー各社も、キャップ火薬1枚でブローバックを可能とするABS製モデルガンを次々に開発、発売して行くことになる。
この時点ではどうしてもMGCの話しになってしまうが、翌1980年に同社がリリースしたM59などは、ダブルカラムマガジンによる14(+1)発を全弾連続で発火させてのけるという、当時の感覚では奇跡としか言いようの無い動作性を見せ付けてくれた。もっとも、オールブラックモデルで1万5千円という高価格にとても手が出せず、お金持ちの友人が買ったのを撃たせてもらったものだった。
MGキャップ専用ブローバックモデルガンとして発売された、MGCのM59。写真のフレームシルバーモデルの18,000円という価格は、1980年当時の中学生に手の届くものではなかったが、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』 劇中で使われていたこともあり、まさに憧れの1挺だった。
また、上述した月刊Gun誌上で、イチローさんが紹介した銃が次々にモデルガン化されたのも、イチローファンのガンマニアとしては実に喜ばしい現象だった。1980年に、MGCとコクサイが、異様な太い銃身を持った「ヘビーバレルカスタム」を数種類発売していたのは、当時イチローさんが、そうしたカスタムリボルバーを使用するPPC(Police Pistol Combat)という競技に取り組んでいたことの影響と見て間違い無い。
コクサイ産業が発売していたモデルガン、コルトパイソンPPCカスタム。ウェイトがたっぷり詰まったヘビーバレルのあまりの重さに、フレーム側が割れてしまうトラブルが散見された、実に惜しい製品。
弾の出ないモデルガンにヘビーバレルを付けたところで、デッドウェイトにしかならないのだが、少なくとも私と当時の鉄砲仲間たちは、実銃の雰囲気をより肌近く感じられる要素として、そういったカスタムモデルを、熱狂を持って歓迎していた。我々がモデルガンに求めていたのは、外観にせよメカニズムにせよ、「いかに本物を感じさせてくれるか」という点だったからだ。
明けても暮れてもモデルガンばかり弄っていた私だったが、なんとか高校進学を果たした1981年。小学生時代から入り浸っていた地元の模型店でのアルバイトを始めたことで、自由になるお金が格段に増え、それまでのフラストレーションを晴らすかのようにコレクションを増やして行った。
マルシン工業製のモデルガン、ブローニングハイパワーミリタリーモデル。PFC(プラグファイヤー)カートリッジによる快調なブローバックには度肝を抜かれたが、火薬の破裂音がほとんど無いことにも驚かされた。この部分は後に改良され、迫力ある発火が楽しめるようになった。
この年は、マルシン工業がマニア待望のブローニングハイパワーと、コロンブスの卵的なアイディアによる擬似ショートリコイルを実現したS&W M39、ワルサーP38を。翌1982年は、かのテレビドラマ「大都会シリーズ」と「西部警察」を通じて、渡哲也が愛用していたM31ショットガンと、擬似ショートリコイル機構を持ったリアルサイズのガバメントを、それぞれABSモデルガンの新製品として発売。
MGC直営店で配布されていた、モデルガンショーの告知チラシ。モデルガン特別割引セールのラインナップが興味深い。イチローさんが来場するというニュースは、我々Gun誌読者を狂喜させた。
特にMGCは、横浜の氷川丸をはじめ、今は無き後楽園展示センターで、「MGCモデルガンショー」なる催しを定期的に開催。「ニューモデル5」と銘打ち、5機種の新製品を一挙に発表していた。
今をときめく東京マルイが、「造るモデルガン」と銘打ち、組み立て式で発火可能なモデルガンを発売したのもこの頃で、モデルガンを取り巻く環境は、まさに全盛期であった。
接着、組み立てが必要とは言え、2千円台で火薬を使った発火が可能なABS製のモデルガンが手に入る。マルイの造るモデルガンシリーズは、当時の中高生ガンマニアの味方だった。
そして、その熱狂が覚めやらぬまま迎えた1983年。各モデルガンメーカーが精力的に新製品をリリースしていく中、MGCがまたしても革新的な発明をやってのける。
同年5月に開催されるMGCモデルガンショーの告知チラシで発表されたその発明品は、モデルガンが発火した際に銃口から発する赤外線を感知し、装置の上に置かれた空き缶を高く跳ね飛ばすという自動標的、「RAY・X-105」。後の「シューターワン」の原型であった。
我々ガンマニアがモデルガンを撃つ時は、銃口から出る炎や煙、またはエジェクションポートから飛び出すカートリッジに注目していた。つまり、実銃のように動作する様子を楽しんでいたのであり、銃口の向こう側に興味を持つことはほとんどなかった。
しかしそれは、弾が出ないという大前提を踏まえた上で「諦めていた」だけであって、標的を打ち倒すという銃の本質的な魅力を、不要と思っていたわけではないのだ。
この画期的な装置が発売されたら、モデルガンの世界は大きく変わる。当時の私は、明るい期待に大きく胸を膨らませたが、この年を境に、時代の流れが予期せぬ方向へと変わって行くことは、この時点ではまったく想像していなかった。
資料協力:MACジャパン、稲葉秀雄、永田市郎、MGC 小林太三、ブゥたんの日々是好日なり…?、玩具道楽三昧リターンズ
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出二夢カズヤ (でにむ かずや)
1965年6月、埼玉県生まれ。物心ついた時からの鉄砲好き。高校時代に月刊コンバットマガジンの初代編集長と知り合ったのをきっかけに、1985年に比出無カズヤとして、同誌にてライターデビュー。以来1990年代初頭まで、トイガン業界の裏と表を渡り歩く。 ブログ UZI SIX MILLIMETER |
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