JAC ブローニングハイパワーMkⅢ ターゲット1

JAC ブローニングハイパワーMkⅢ ターゲット1

写真&解説 小堀ダイスケ

解説

JACのブローニングハイパワーMKⅢについては、すでに紹介済みだ。カスタムバリエーションとなるターゲット1はその後に追加されたモデルなので、耐久性など、細かい点での改修はあったはずだが、基本的には同じ製品。なので今回は、本エアガンが世に出た1990年代のはじめ頃を振り返り、このコーナーを担当するGunライター、小堀ダイスケの個人的な思い出について語ってみたい。

この頃ボクは、上野アメ横のトイガンショップ、マルゴーでアルバイト店員として働いていた。アメ横が昭和40年代初頭からトイガン(モデルガン)のメッカだった、というのはご存じだろう。中田商店、MGCボンドショップ、東京レプリカ、東京CMC、ホビース商会、そしてマルゴー商店と、モデルガン創世記を支えたメーカーやショップがひしめき合い、互いに切磋琢磨しながら商売にはげんでいたのだ。ボクがマルゴーでバイトをはじめた頃は、すでに中田商店がモデルガンの製造をやめて久しく、ホビース商会は閉店、MGCボンドショップはニューMGCに変わっていたが、まだたくさんのお店が元気に営業中だった。

当時、マルゴーでいちばん売れていたのは、WAの固定スライド式ガスガン、ベレッタM92Fだった。パワーと命中精度がもっとも優れており、故障知らずのシンプルなメカ、リアルな外観とあいまって、お客さんに自信を持って勧められる1丁だったため、毎日必ず数丁は売れていたと記憶している。

すでにMGCのグロック17が本格的ガスブローバックガンとしてデビューを果たした後だったが、やはり、狙った標的にちゃんと当てる、という基本性能においては、少々物足りなさを感じるユーザーも少なくなかったのだと思う。

そんな中、ダメ押しのように発売されたのが、JACのブローニングハイパワーMKⅢだった。ブローバックエンジンをタニオコバが監修し、グロック17を超える高性能との前評判だったのだが、実際にはスライドが割れるというトラブルが続出、また、マガジンの出し入れが異様に固く、無理な扱いをして壊してしまうユーザーが後を絶たなかった。実際、ボクもマルゴーでこのハイパワーをかなり売ったが、結構な確率で故障が起き、修理品として問屋さん経由でメーカーに戻す、という作業を何度となくやったものだ。

やはり確実な作動と命中精度では固定スライド式に勝るものはない、と思われていたあの時代、ついにその常識を覆す大事件が起きる。そう、マグナブローバックの登場だ。

1993年の夏頃だったと思う。マルゴーの店頭にいたボクの背後から、低く通る声が聞こえた。「社長いる?」思わず振り返ると、そこに立っていたのは誰あろう、ウェスタンアームズの国本圭一社長だったのである。

マルゴーの社長以下、数人のスタッフが集まると、国本さんはケースから1丁のハンドガンを取り出した。「今度のはスゴいよ」と不敵な笑みを浮かべながら手にしたその銃こそ、ベレッタM92Fマグナブローバックの初号プロトタイプだった。

前述の通り、WAの固定スライド式ベレッタM92Fなら毎日販売していたので見慣れていたのだが、国本さんがおもむろにスライドを引く様子を目の当たりにし、なんだこれはガスブロなのか!と一同驚愕したものだ。

当時のガスブローバックガンはすべてアフターシュートで、スライドを引いてもエジェクションポートから内部メカが見えるだけだった。ところがどうだ、国本さんの手にあるM92Fのスライドはフルストローク(そのときはそう見えた!)でガバッと開き、当たり前のようにマガジン上部が顔を出したではないか。あまつさえ、戻したスライドが最上段のBB弾を拾い、実銃よろしくバレル根元のフィーディングランプを駆けのぼってチャンバーに装填される様にいたっては、ボクは本当に2度見したほどだ。

さらにその驚きに追い打ちをかけたのが、国本さんが発したトドメのひと言だった。

「これね、弾が出てからブローバックするんだよ」

当時はボクも若かったのでなんとか持ちこたえられたが、血圧の高い今なら完全に気を失っていたかもしれない。それほどまでに、マグナブローバックの登場は衝撃的だったのだ。

そのまま国本さんは店頭でM92Fを連射、その場に居あわせたお客さんも集まり、予期せぬ新製品のデモンストレーションに店内は騒然となった。

それからしばらくして、1993年の暮れにWAからベレッタM92Fマグナブローバックが発売され、その後、コルトガバメントという最強のバリエーションに発展、他の追随を許さぬ快進撃がはじまったのはもはや語るまでもないだろう。その結果、MGCのグロックシリーズや、JACのハイパワーなど、他社のガスブローバックガンは淘汰されてしまったわけだ。

それから数年後、ボクは500丁以上あったトイガンのコレクション(本当)をすべて手放し、20代後半で実銃(ショットガン)の所持許可を取得、スポーツ射撃とハンティングの世界にのめり込んでいくことになる。

52歳となった今、実銃のボルトアクションライフルを手に野山へ分け入り、獲物を追うという日々を送っているが、あのとき国本さんに撃たせていただいたマグナM92Fの感触は、今でもボクの脳裏に深く焼き付いて離れないのだ。

サイドビュー左
サイドビュー右
JACブローニングハイパワーMKⅢはブローバックエンジンの容量をかせぐためか、スライドの肉厚がおどろくほど薄かった。その半面、リコイルがかなり強く、初期ロットではスライドが割れるトラブルが続出。急遽、強化スライドが追加販売されるという事態となった。その後バリエーションとして追加されたターゲットではそうした問題点も改良された。

スタビライザー
見た目ほどは重くない
大迫力のフロントビュー。コンペンセイターのように見えるが、ガスポートが開いていないのこれはスタビライザーだ。しかしプラ製のため、見た目ほどは重くない。

フレーム下部
スタビライザーはフレーム下部にネジ止めされており、剛性は高い。

リアサイト
狙点より下に着弾するという、アフターシュート特有の欠点をおぎなう高いリアサイト。MGCのグロックやP7カスタムと同様、ある意味、そこのつじつまを合わせるためにもカスタムモデルが必要だったのかもしれない。

シルバーのチャンバー
スライドを引く
アウターバレルは真鍮削りだしでクロームメッキが美しい。当時はスチール製の社外カスタムパーツなども多く出回っていた。しかし、スライドを引くとご覧の通り内部メカが丸見えとなってしまう。

マガジン
ノーマルの紹介ページではよく見えなかったマガジンの背面をご覧いただこう。初期ロットではマガジン上部のパッキンが厚く、フレームに押し込んでもマガジンキャッチがかかりにくい個体があった。

ガンケース
プラスチック製のガンケースに入って販売された。もちろんカスタムモデルだからではなく、ノーマルも同様のパッケージだった。

マニュアル
わかりやすく丁寧なマニュアル。狙点よりも下に着弾するという特徴についても書かれている。
マニュアル.PDF (3.6MB)

DATA


発売年 1992年12月1日 (ブラック)
1993年2月中旬 (ハーフシルバー/ターゲット1)
1993年3月20日 (ノバックSP)
1993年春 (ミリタリー1001 SSシステム搭載)
1993年7月18日 (SSハーフシルバー/MkIIIスペシャル)
1993年冬 (SSノバックSP)
発売時価格 ¥16,800 (ブラック)
¥19,800 (ターゲット1)
¥18,800 (ハーフシルバー)
¥17,800 (ノバックSP)
¥18,800 (ミリタリー1001)
¥19,800 (ステンレスシルバー)
¥19,500 (SSハーフシルバー)
¥17,800 (MkIII スペシャル)
¥18,300 (SSノバックSP)
全長 実測 236mm
重量 実測 654g
バレル長 -mm
発射方式 リキッドチャージ式ガスブローバック
使用弾 6mmBB弾
装弾数 13発
平均初速 -m/s

撮影協力:サタデーナイトスペシャル

2021/12/19


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