ヨネザワ レミントン ライアットショットガン
写真&解説 小堀ダイスケ
解説
とにもかくにも、飛距離なのである。エアガンの銃口からどれだけ遠くまでBB弾を飛ばすことができるのか、その一点にこだわり続けたメーカー。それがヨネザワなのだ。
コルト25ポケットとAMT380バックアップのときにも触れたが、この「飛距離40メートル!!」というのは、あくまでも上方に仰角をつけた場合の最大到達距離のことだ。おそらく35度くらい、しかも追い風の状態ではないかと推測される。
なにせホップアップが存在しなかった時代なので、飛距離をのばすにはパワーを上げるしかなかったわけだが、もちろん、老舗メーカーのヨネザワがそんな極悪銃を売り出すわけがない。
しかも、このライアットショットガンはスケールダウンモデルで、対象年齢こそ18歳以上となってはいるが、低価格帯のエントリーモデルという位置付けだった。だからこそ、合法かつ正当な構造で、しっかり遠くまでBB弾が飛び、ある程度ちゃんと当たる銃でなければならなかったのだ。
言うは易しだが、設計にはかなりのノウハウが必要だったはずだ。なぜなら、BB弾の抵抗となる要素をすべて排除し、弱いスプリングでも最大限の推進力を持たせなければ、いくら仰角をつけても飛距離は伸びない。
飛距離40メートルと謳えるのも、ヨネザワの確かな技術力に裏付けられた自信があればこそ、だったのだろう。
残念ながら、ホップアップが当たり前となり、エアガンのレベル自体がどんどん上がっていくにつれ、ヨネザワの製品は時代に取り残されてしまった。
だが考えてみてほしい。箱に堂々と飛距離の書いてあるエアガンが売っていたなんて、実に楽しい時代だったではないか。
ヨネザワのライアットショットガンは、コアなガンファン層以外にも受けて大ヒット、ドラマ『西部警察』や『ゴリラ・警視庁捜査第8班
』など、石原プロ作品とのコラボ商品展開もあって、当時の隠れたベストセラー商品だったのだ。
当時はTVドラマ『西部警察』の影響で、ショットガンといえばピストルグリップ付き、というイメージが定着していた。小型であれば金型のコストも抑えられるため、エアガンメーカーにとってはありがたかったのかもしれない。
銃口にはライフルサイトが付いているので、実銃でいうスラッグ弾仕様ということになる。
しっかりとしたリアサイトが装備されていたが、この個体では紛失している。ベース部分にはフラットな機械加工が施されており、クオリティの高さがうかがえる。
マガジンチューブ先端のツマミを外して引き抜き、25発のBB弾を装填。当時、ケースレスのポンプアクションで25連射できるエアガンは他になく、サバゲーでも使われた。
ピストルグリップまで一体成形だが、セフティはクロスボルト式のライブ。ストック取り付けの穴はあるものの、オプションとしては発売されなかったようだ。
堂々とREMINGTONと書いてあるが、書体は似ても似つかない。
西部警察の大門団長がMGCのMODEL31モデルガンを使っていたことで、日本では大人気モデルとなった。角刈りにサングラス、ブルーのスーツ姿は当時の少年たちのあこがれだったのだ。
上はマルゼンのライブシェル式レミントンM870。こちらも若干スケールダウンモデルだが、ヨネザワはさらに小さい。
ライブシェル式のマルゼンとは違い、ヨネザワにはローディングポートがなくのっぺらぼう。初期型の7mmつづみ弾(L27弾)仕様は装弾数5発のボックスマガジン式だった。
ほぼ実物大写真がプリントされたパッケージ。上箱にも「飛距り40m」と書いてあり、最大のセールスポイントだったことがわかる。初期型のつづみ弾仕様では石原プロとコラボした「西部警察」仕様のパッケージもあった。
DATA
発売年 | 1982年 (7mmつづみ弾仕様) 1985年 (6mmBB弾仕様) |
発売時価格 | ¥4,500 |
全長 | 実測 523mm |
重量 | 実測 578g |
バレル長 | -mm |
発射方式 | エアーコッキング |
使用弾 | 6mmBB弾 |
装弾数 | 25発 |
平均初速 | 56.2m/s |
撮影協力:サタデーナイトスペシャル
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