艦魂 第一話 珊瑚海海戦

艦魂 第一話 珊瑚海海戦

2012年夏、横須賀市内。

「まさか、こんな大雨になるなんて」

夕立の中、一人の少年が帰りを急ぐ。
彼の名は河瀬茂(かわせ しげる)、17歳の学生だ。

「よし、もうすぐだ……うわあっ!」
家まであと僅かというところで、彼の視界は稲光に覆われる。
直後、茂は気を失った。


遡ること70年前の1941年12月8日。

日本はアメリカに宣戦を布告。開戦直後にアメリカ海軍太平洋艦隊の根拠地であるオアフ島の真珠湾を攻撃するつもりが、予期せずに宣戦布告前の攻撃開始となってしまう。

加えて戦艦には大きな被害を与えたものの、現地に一隻もいなかった空母は無傷のまま。アメリカはこの生き残った空母を用い、日本軍への反撃を目論んだ。

そんな中、日本はニューギニア島南東部にあるポートモレスビーの攻略を計画。アメリカとオーストラリアの連絡を絶ち、あわよくばオーストラリアの戦意を失わせようとしていた。

作戦は日本海軍の第四艦隊が担当し、新鋭の大型空母「翔鶴」及び「瑞鶴」を主力とする機動部隊と、小型空母「祥鳳」を含む攻略部隊が編成された。

アメリカはこれを察知すると、空母「レキシントン」及び「ヨークタウン」等を派遣。1942年5月7日には駆逐艦らが日本の機動部隊によって撃沈されたが、同じく航空機の攻撃で「祥鳳」を沈めた。

5月8日、南太平洋沖のソロモン諸島沖を行く「翔鶴」艦内にある一室。この「翔鶴」型空母は右舷やや前よりの位置に艦橋を持ち、飛行甲板には縦方向に細く切られた木材が敷き詰められている。全長は257.5メートルで、飛行甲板はほぼ全体が灰色の軍艦色に塗られていた。

茂は気付くとこの艦にいたが、未だに事態を飲み込めていなかったのである。

「はあ……どうしてこんなことになったんだ」

「知らん。いきなり雷と一緒に降ってこられたこっちの身にもなれ」

鋭い目つきをした黒い瞳で彼を疑うように見るのは、しなやかな黒髪を後頭部で結わえ、白い海軍の夏服を着た背の高い一人の女性。しかし彼女も、日本海軍の艦艇に女性が正規の乗組員として乗っていたという記録が無い以上は、ここにいること自体が異常であった。

彼女は普通の人間ではなく、艦魂と呼ばれる極めて特殊な存在である。茂が翔鶴から受けた説明は、以下のようなものだった。

艦魂とは一隻の船に必ず一人は宿る艦の化身で、船が進水した時に生まれ、その船が役目を終える時に同じく一生を終える。だが、姿を見ることができる人間はごく少数と言われている。



「第一、本当に未来から来たのか?」

「本当だってば。そうじゃなかったら、この電話はどう説明するのさ」

そう言うと、茂はスマートフォンを取り出して翔鶴に見せる。この数十年前には存在していなかった機械のお陰で、茂は未来から来たという事実を信じてもらうことができたのだ。

「それもそうだが……む、来たか」

何かにぴくりと反応した翔鶴が、嬉しそうな笑みを浮かべる。時刻は、日本時間で午前6時22分のことだ。

「何が?」

「私の船体が、敵の空母を発見したという無電を受信した。これから攻撃することになるだろう」

「戦うのは、怖くないの?」

「私は軍艦の艦魂だ。日本のために戦うのは名誉なことだと思っても、怖いとは思わん……例えその戦いで自分が傷つき、命を落とすことになったとしても、本望だ」

「そう……そうなんだ」
 翔鶴の言葉が嘘だと思えなかった茂は、それ以上何も言えなかった。

「とはいえ、私の搭載機は真珠湾を攻撃した時にも一機たりとも撃墜されていない。今回も、真珠湾の戦艦どもと同じように沈めてやるさ」

7時半頃、「翔鶴」及び「瑞鶴」から以下のような攻撃隊が出撃する。

翔鶴……零式艦上戦闘機9機、九九式艦上爆撃機19機、九七式艦上攻撃機10機
合計38機
瑞鶴……零式艦上戦闘機9機、九九式艦上爆撃機14機、九七式艦上攻撃機8機
合計31機、総計69機

「いいか! 必ず敵空母を沈めて来い!」

自分の艦から出撃する航空隊に、翔鶴が檄を飛ばす。そんな彼女を、「瑞鶴」の甲板から一人の少女が見つめていた。

「姉さん、張り切ってるなあ……私もあれぐらい積極的になりたいけれど、怖いよ」

翔鶴より頭一つ分背の小さい彼女は「翔鶴」の姉妹艦「瑞鶴」の艦魂、瑞鶴である。凛々しい姉とは違いその顔にはあどけなさが残り、短い髪がより幼く見せるその体は恐怖に震えている。

「と、とにかく生きて帰ってきてください!」
 彼女はただ、攻撃隊の無事を願った。

同じ頃、アメリカ軍は空母「レキシントン」の航空機が日本艦隊を発見。空母「レキシントン」及び「ヨークタウン」から、六時四十八分にF4F「ワイルドキャット」戦闘機、SBD「ドーントレス」爆撃機、TBD「デバステイター」攻撃機ら、合計125機が飛び立った。

双方の攻撃隊は途中ですれ違い、8時半頃アメリカ側の攻撃隊が「翔鶴」及び「瑞鶴」を発見。「瑞鶴」がスコールに隠れていたため、攻撃は「翔鶴」に集中する。

「ふん、そんな及び腰で当てられると思うな!」

まず7機の爆撃機が襲い掛かるものの、艦橋に立つ翔鶴は日頃の鍛錬で鍛えた二本の足でしっかりと立ち、悠然としていた。

「このまま、当たらなければいいけれど……そうだ」

内心怯えながら、茂は自分に知識が無いことを悔やむ。藁にもすがる思いでスマートフォンを操作すると、何故かこの海戦の結果を知ることができた。
(この空母は沈まないんだ……良かった)

慌てながら慣れた手つきでスマートフォンを操る茂を翔鶴は訝しんだが、その表情から恐怖からの行動だと理解した。

「怖気づいたか? なら、どこかに引っ込むか?」

「いや……いいよ」
  半ば侮辱するような翔鶴の言葉を、茂は小さな声で否定した。

7機はそのまま離脱したが、今度は別の17機の爆撃機が来襲。二発の爆弾が「翔鶴」に命中し、同時に翔鶴の体には突然刃物で切られた傷のようなものができた。

「ぐっ……この程度!」船体が大きく揺れる。
「翔鶴!」
「情けは要らん!」
 狼狽える茂を、翔鶴が一喝する。だがこの時狼狽していたのは、瑞鶴も同じことだった。

「姉さん、姉さん!」
 船体から黒煙を噴き出す「翔鶴」を見た瑞鶴は、思わず絶叫する。不幸中の幸いか、17機の攻撃における「翔鶴」の被害はこの二発だけであった。

ところが「レキシントン」の攻撃隊が襲い掛かり、再度「翔鶴」に攻撃を集中。艦橋後部に爆弾が命中し、格納庫に火災が発生したことで、翔鶴も一層の深手を負った。

「翔鶴……大丈夫?」
「何のこれしき……むしろ、瑞鶴の方が心配だ。あいつは臆病だからな」
 翔鶴の表情には、苦しさの中にも余裕があった。

飛行甲板を破壊された「翔鶴」は沈没を免れたものの、航空機の着艦ができなくなる。そこで「レキシントン」を撃沈処分に追い込み、「ヨークタウン」を損傷させた攻撃隊を「瑞鶴」に収容したが、二隻分の航空機を一隻には収容できず多くの機体が海中に捨てられた。

「これだけ機体が減っては、追撃は厳しいな……ところで、未来から来たのならこの後の歴史を教えてくれないか?」

「うん、ちょっと待ってね……あっ?」

  茂が再度歴史を調べようとした直後、手負いの「翔鶴」の上空にあった雲から、一筋の稲光が走る。そして稲光が収まった時、そこに茂の姿は無かった。

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2013/07/02