中田商店 東京アメ横の老舗ミリタリーショップ
東京都台東区にあるミリタリーショップ、老舗中の老舗。戦後のトイガン文化発祥の地としても知られる中田商店を紹介します。
東京上野駅、高架沿いにあるアメ横は超有名な商店街。
御徒町方面へ歩いていくと老舗のミリタリーショップ、中田商店のアメ横店がある。
店内にはミリタリーアパレルがぎっしり!!
なんといっても革ジャンの豊富さ!! フライトジャケットのラインアップがすごい。ODファティーグもたくさんあったのでナム戦ファンも注目だ。
今、中田商店一押しのブランドは、ヘリコンテックス。欧州のメーカーながら高い機能性と人気を誇る。
キャップやハット、パッチ類も豊富。
ミリタリーパンツやベルト、とにかくなんでもある。
最近ではあまり見なくなった軍の放出品も。
記章類もたくさん。
ブーツもたくさん展示している。おススメブランドはBATESだ。筆者も愛用するサバゲーから普段使いまで対応する高機能ブーツ。
バッグやリュックもたくさん。
トイガンの始祖的ショップ。すべてはここから始まった。
中田商店の歴史は古く、創業者の中田忠夫氏が終戦間もない1945年ごろから露店としてはじめた。1950年ごろには銀座でリアカーを引いて輸入雑貨やPXから流れた、いわゆるヤミ物資を販売していた。
実はこの写真、従業員の写真だったのだが、中田忠夫氏が自分の顔に差し替えたものという面白い逸話がある。
当時販売されていたフィリップス製などの電気シェーバーのラインアップ。パーカーのボールペンなども販売していたのだそう。
また、いまでこそミリタリーアパレルショップとして有名な中田商店だが、初期のころはモデルガンも販売していた。
1950年代後半からの貿易自由化に伴い、1959年には香港やイギリスからモデルガンを輸入して販売を始める。1961年のカレンダーにはマテルやヒューブレーといったメーカーの玩具銃が掲載されている。
ヒューブレーのコルト45が7月1日発売で2600円、弾の飛ぶマテルのFANNERが1800円。MATTEL 38やHUBLEY レミントン 36といった製品もあった。
こちらはNICHOLS Stallion 45。ヒューブレーのデテクティブ スペシャルのミニチュアも。
1960年ごろの上野店。現店舗とは少し離れた上野よりの場所にあった。
1965年ごろの店舗前。銃器研究家の床井雅美氏、WA代表の国本圭一氏、当時中田商店で働いていた根本忠さんなど、業界の黎明期を盛り上げたそうそうたるメンバーが並ぶ。
六人部登氏や小林太三氏といったレジェンドトイガンデザイナー達も中田商店に関わっている。MGC創成期、小林氏がマテルやヒューブレーのトイガンを中田商店で仕入れ、カスタムして販売していた話などは有名だ。みんな中田商店のおやっさんこと、忠夫さんにお世話になっているのだ。中田忠夫氏は惜しまれつつ2019年に他界。
こちらは1965年頃の上野駅前支店。店の前でトイガンを持ってコスプレしてというまだ緩やかな時代。看板には西部開拓時代資料研究部や第2次大戦資料研究部といったインパクトのある文字が書かれている。
デグチャレフDSHK M1938重機関銃!! 上野駅前支店の情報が掲載されている。
1967年のカレンダー。ガバメント、ワルサーP38、トカレフ、ブローニング、14年式、ベレッタ、ルガーP08など、当時の人気モデルはウエスタンとWWIIものが多かった。
当時の拳銃タイプモデルガンは金属製だったが、その後の規制で影を潜め、中田商店のラインアップからも消えていった。モデルガンは1975年頃まで販売されていたそうだ。
1975年のアイドル誌のポスター。アイドルグループ"ずうとるび"のメンバーが中田商店協力のミリタリーウェアで登場している。右から二番目の山田隆夫は笑点で座布団運んでいる人。
このころから一般的にミリタリーサープラスをカジュアルスタイルで着こなすファッションが定着したという。その先駆けとなったのが中田商店というわけだ。当時はベトナム戦争が終結したばかりで中田商店はいち早くこれに注目し、返還されてまもない沖縄へ出向いて大量のミリタリーサープラスを仕入れたという。
中田商店
〒110-0005 東京都台東区上野6-4-10
TEL:03-3831-5154
営業時間 11時から19時30分 年中無休(元旦のみ休業)
https://www.nakatashoten.com/
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