艦魂 第六話 坊ノ岬沖海戦

艦魂 第六話 坊ノ岬沖海戦

レイテ沖海戦の後、日本海軍は大規模な艦隊を運用することがほぼ不可能になりつつあった。艦艇そのものの減少も原因のひとつであったが、潜水艦や航空機によって多数の商船が撃沈され、東南アジアの産油地から日本本土に燃料を運ぶことが難しくなっていたからである。

そしてアメリカ軍は圧倒的に優勢な艦隊と航空戦力を用い、1945年3月26日に硫黄島を占領。現在のインドネシアやマレーシアはほぼ日本軍の手中にあり、フィリピンも完全に占領されたわけではなかったが、このままでは本土決戦も時間の問題であった。

硫黄島を落としたアメリカ軍は、次いで沖縄の占領を計画。3月23日に本格的な航空攻撃を開始し、まずは守備隊のほとんどいなかった座間味島などを占領した。

これを受け、日本海軍は戦艦「大和」を中心とする第一遊撃部隊に出撃を命令。4月6日午後3時20分に徳山沖を出撃し、1日に本島へ上陸していたアメリカ軍への艦砲射撃を行おうとした。

この出撃は生還をほぼ想定していなかったものの、各艦には徳山から沖縄まで十分往復できるだけの燃料が搭載されていた。とはいえただでさえ少ない石油がさらに減少し、商船の護衛をする艦艇の燃料にしわ寄せが行くことになる。

翌4月7日午前7時、駆逐艦「朝霜」が機関の故障で脱落。茂が駆逐艦「雪風」にやってきたのは、その暫く後のことだった。

「貴方が、大和長官の仰っていた方ですな」

「うん」

茂の前に立つのは、「雪風」の艦魂。見た目は精々十代半ばで背丈も五尺程度と小柄だったが、凛々しい目つきとその口調が、さらには引き締まった体が幼さを打ち消していた。髪は短く、首筋にさえ届くかどうかといったところである。

艦魂 雪風

「このような状況に置かれるとは、失礼ながら同情を禁じ得ません。不沈艦と呼ばれている私とて、今回ばかりは厳しいですからな」

「……そっか」

午後0時32分、第一次攻撃隊の約280機が「大和」らと戦闘を開始。これは午前10時頃に空母9隻を飛び立ったもので、戦闘機132機、爆撃機50機、攻撃機98機からなった。

この直前、一部の航空機は脱落した「朝霜」を攻撃。艦橋の右舷側と機械室に魚雷を受け爆沈している。

「いよいよですな。私の武運が続けばいいのですが」
 雪風は懐中時計で時刻を確かめると、茂と共に艦首の主砲塔前に陣取った。

戦艦「大和」以下の9隻から高角砲や機銃が雨霰と放たれるが、低い雲と強風のせいで射撃は困難。0時45分、まずは駆逐艦「浜風」が航行不能になる。

一分後には、軽巡洋艦「矢矧」の右舷機関部に魚雷が命中。

「浜風! 矢矧さん……くっ、やはり無謀だったのか!」

歯軋りする雪風の目前で「大和」も攻撃に曝され、爆弾2発と魚雷1本以上が命中。左舷への傾斜はすぐに直ったものの、後部艦橋と後部副砲が壊れて火災が発生する。

また0時48分には「浜風」が爆沈し、1時8分には駆逐艦「涼月」が艦首に爆弾を受け脱落している。

間髪入れず、1時20分から相次いで第二次及び第三次攻撃隊が来襲。「大和」の左舷には多数の魚雷が突き刺さり、機械室とボイラー室に注水してなお傾斜は収まらなかった。

「大和……っ」

「大和長官……最早、これまでだというのか」

爆弾と魚雷を浴び刻一刻と傾く「大和」を前に、二人は絶望しつつあった。

かつて一日とはいえ共に過ごした大和が命を落とすのを、茂は黙って見ているのが耐えられなかった。また「大和」といえば、一般人に過ぎなかった茂が知っていた数少ない軍艦でもある。

「雪風、大和に会うのは……無理だよね?」

「いいえ、私と共に移動することなら、どうにか」

「なら、お願いできるかな?」

「はい」

二人は、艦橋や機銃からは死角になっており目立たない「大和」の第一主砲塔前に移動。艦魂はある程度の距離であれば瞬間移動することができ、人間も随伴させられるのだ。

「大和長官!」

「雪風……それに、君もまた来ていたのか」

「ええ」
  大和は息も絶え絶えに、懐中時計を取り出す。

「もし、できることなら……これを未来に持ち帰ってほしい」

「ですが、それは大和さんの……分かりました」

「もう長くは持たない。名残惜しい気もするが、早く戻ってくれ」

「はい」
 後ろ髪を引かれる思いで、二人は「雪風」に戻った。

1時25分には駆逐艦「霞」が直撃弾2発と至近弾1発により航行不能となり、「矢矧」は2時5分に沈没。救助に向かった駆逐艦「磯風」も、攻撃で機械室が浸水し、航行できなくなった。

そして遂に、艦隊を率いていた伊藤整一中将は作戦の中止を決断。自分は「大和」艦長の有賀幸作大佐とともに艦内に残り、「大和」は2時20分に横転した。

2時23分、転覆した「大和」は大爆発を起こして沈没。世界最強と呼ばれた「大和」と「武蔵」がともに航空機の攻撃で撃沈されたことは、戦艦が列強における海軍の主力となっていた時代の完全な終焉を意味していた。

「大和!」

「大和長官!」

高さ千メートルはありそうな黒煙を噴き上げ、船体を二つに折られた「大和」が沈む。間もなく攻撃隊はその場を去ったが、生き残った艦も多かれ少なかれ傷ついていた。

「貴方は、これから……って、え?」
 雪風が振り返ると、茂は既に姿を消していた。

「行ってしまいましたか。私たちのことをもっと知って頂ければ、未来に戻った後で言い伝えて頂けるかとも思いましたが」

雪風は、残念そうに呟く。だが、この願いは思わぬ形で実を結ぶことになる。

この後、「霞」と「磯風」が航行不能で処分され、本土へと帰還したのは駆逐艦「雪風」、「初霜」、「冬月」及び「涼月」のみ。各艦の乗組員のうち合計で3721名が戦死し、中でも「大和」は乗組員の8割以上に当たる2740名が命を落とした。

魚雷およそ20本を受けた「武蔵」に対し、「大和」はより少ない魚雷で、かつより短時間に沈没している。これはただ一本を除き魚雷の命中が左舷に集中したことで、同じ量の浸水でもより傾斜が急になったことが一因とされている。

この約4か月後、日本はポツダム宣言の受諾を発表。9月2日には東京湾のアメリカ戦艦「ミズーリ」艦上において日本軍の降伏文書に調印が為され、12月1日に陸軍省と海軍省がそれぞれ第一復員省及び第二復員省となった。なお、日本国そのものや政府が降伏したわけではない。


それから70年近く経った2012年夏、横須賀市内。

「うう、また……あれ?」

またどこかの艦に飛ばされたのかと思った茂だが、天井は見慣れた自室のものであった。

「現代に戻った!?」

彼が自室の様子から察するに、あれから何事も無く家に帰ってそのまま寝ていたことになっていたようであった。こうして、彼は無事に現代へと戻ってくることができたのである。

安心した茂がテレビの電源を入れると、8月15日ということで戦没者を追悼する式典の様子が放送されていた。

「黙祷」
 茂は慌てて立ち上がり、黙祷を捧げる。先の大戦で命を落とした人間だけでなく、艦魂たちのためにも。

「ん? これは……」

ふと手を入れたポケットから出てきたのは、大和から渡された時計だった。時刻は彼女の沈んだ2時23分で止まっている。

そして時計の裏には、「未来の日本のために 戦艦大和」と言葉が刻まれていた。茂はそれを大事そうに握りしめると、彼女たちの死闘を無駄にはするまいと誓ったのである。

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2013/07/02