古今東西 銃火器あれこれ 「八九式重擲弾筒」

さて今回取り上げる銃火器は、歩兵分隊の守護神!その威力で米兵を恐怖に陥れた「八九式重擲弾筒」を紹介します。砂塵渦巻く中国戦線から灼熱の太平洋戦線と、各戦線で大活躍しました。さてその活躍とは如何に!?

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古今東西 銃火器あれこれ 「八九式重擲弾筒」 1

手榴弾を遠くへ飛ばしたい!兵隊なら誰でもそう考えることを実現してくれたのが、擲弾筒という兵器。まあ言ってみれば小型の迫撃砲なのですがこれが帝国陸軍の中でかなり成功した兵器で、今回ご紹介する八九式重擲弾筒は対峙した米英連合軍中国軍を恐怖に陥れたほどの威力をもっていました。
開発は1922年(大正11年)から開始されました。実はこの前年に仮採用された「十年式擲弾筒」というモノがありました。十年式手榴弾を最大170mの距離まで飛ばすことのできる日本軍最初の擲弾筒だったのですが、如何せん射程距離が短く、弾頭が手榴弾だったため威力不足でした。

古今東西 銃火器あれこれ 「八九式重擲弾筒」 2

「もっと射程距離を延ばす」「大威力の弾頭を」というコンセプトが開発の発端でした。途中1923年(大正12年)9月の関東大震災で一旦開発は頓挫、再開は同年11月から始まり、結果制式採用されるのが1932年(昭和7年)と開発から採用まで十年の歳月を費やしました。八九式重擲弾筒は専用の八九式榴弾を使用し、最大射程670m、殺傷範囲10mと十年式擲弾筒よりはるかに威力を増大させました。また炸裂音が野砲と聞き間違うほど大きかったため敵兵を大いに恐れさせたといいます。
発射には筒を45°の角度に保ち、目視で適当に照準をつけ発射しました。十分訓練された兵士であれば、命中率もかなり高かったといわれています。
ちなみに英名を「Knee Mortar」つまり「膝撃ち迫撃砲」、鹵獲した米兵が勘違いして膝に当てて発射したところ、大腿骨を複雑骨折したという嘘のような本当のお話があったりします。

八九式重擲弾筒は的確な運用と弛まぬ訓練により多大な威力を発揮しました。
弾薬を含めて運搬には苦労しましたが歩兵が携帯できる兵器としては三八式歩兵銃と並び高い能力を持った傑作兵
器と言えるでしょう。


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■イラストレーター紹介

ALFRED少尉(あるふれっど しょうい)
ALFRED少尉(あるふれっどしょうい)
1970年代8月、新潟生まれ。漫画・イラスト制作者。
現在カバネット株式会社:Webサイト「漫画の新聞」にて月1で2P漫画連載中。
過去の作品:ゴマブックス刊:「イケメン 戦国武将・忠義編」「イケメン戦国武将・主従編」
劇団「グーフィー&メリーゴーランド」主催舞台「JUDY~The Great Unknown Squadron~」のパンフレット内イラスト「零戦」作成&舞台の時代考証も担当。高知県の地域おこしボランティア:戦国武将「明石掃部」作成
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2011/06/17