アホカリプスVN リユニオン 2017 イベントレビュー
2017年7月15日、16日に山梨県南都留郡の本栖ハイランドにて開催されたヒストリカルゲーム、『アホカリプスVN リユニオン 2017』の模様をイベントレビュー。主催はアホカリ実行委員会、後援 サムズミリタリ屋。
アホカリプスはベトナム戦争をテーマとしたヒストリカルゲーム。
あるいはリエナクトメント(Reenactment)とも呼ばれる。
リエナクトメントとは戦場再現といった意味があり、歴史上の戦争をテーマに当時のコスチュームに身を包み、敵味方に分かれ当時の戦闘をリアルに再現しようというものだ。
世界的にもリエナクトメントは開催されており、ヨーロッパや北米では、古くは中世ヨーロッパの戦いや、南北戦争、WW1、WW2といった様々な戦場が再現されている。日本で言えば川中島合戦や、関ヶ原の戦いを再現した地域イベントが行われていて、これらもいわばリエナクトメントと言えよう。
アホカリプスというイベント名前はベトナム戦争映画の名作、『地獄の黙示録』の原題、『Apocalypse Now』に由来する。黙示録という意味のApocalypseをもじってAhocalypseだ。
アホカリは今年で21回目の開催となる日本でも歴史の長いイベント。開催場所が山梨県ということもあり、日本全国からメンバーが集まってくる。
ベトナム戦争と一口に言っても1955年から1975年まで続いたとする定義もあるが、アホカリではその中でも米軍が介入し、戦闘が激化した1967年~68年を想定したものとなっている。
サイゴンに駐留する第1騎兵師団のデューク廣井大佐から呼び出されて、本栖ハイランドのキャンプ場...もとい、サイゴンのMACVに出頭する。STARS & STRIPESのキャメラマンとして前線を取材することになった、みたいな脳内設定で中央道を西へひた走る。
土曜の午後に現地入りし、一泊して翌日日曜の戦闘取材に臨む。
取材の服装もそれっぽく。80年代の第1次サバゲーブームにハマったものならばナム戦装備の1着くらいは持っているだろう。あの頃は日本中のミリタリーショップで放出品の実物ナム装備が格安で買えた。筆者も当時の装備を押し入れの奥から引っ張り出して参戦。プラトーンにハマっていたので第25歩兵師団にM653というなんちゃってナム装備w。取材時はライフルは置いてカメラとビデオをもって従軍した。
もう気分はチャーリーモピック!!
ジャングルファティーグに身を包むと、蒸し暑い真夏日の本栖と相まって気分は高揚する。
サムズミリタリ屋はCLUB SAIGONを出店。フードやドリンクの販売のほか、ナム戦装備の販売もしていた。他にも数店舗のショップがあったが、どちらかというと皆さんイベントを楽しみたい方向なので出店内容は控えめ。
夕刻には参加者が集まって開会式を行った。怪我無くイベントを楽しみましょう~、ってなかんじ。
土曜の夜は霧と小雨がバラついたため、ポンチョを着用する米兵も。高温多湿のベトナムの雰囲気。
みな思い思いの国籍と装備で参加している。こちらはオーストラリア軍のご一行。
MP達も多く、会場内を警備していた。
おっと! 米軍車両に近づく怪しい影!!w
宿泊組はテントとコンロを持参し、夕食を作ったり、飲み始めたりと、このあたりは普通のオートキャンプと変わらないが、やはり、フィールドコットの脇にアサルトライフルを置いてジャングルファティーグに身を包めば、さながらベトナムの前線基地、ダナンやケサンの雰囲気。
つかの間のR&R、バーベキューを楽しむ騎兵隊。
みんなでワイワイやるのが楽しいのだ。
テントの無い参加者用に大きな軍用テントが割り当てられていた。もちろんフィールドコットやマットはないので、各自持参する必要がある。また基本的に自分のテントがあれば持参するのが良いだろう。もちろん車の中で寝てもOKだ。この時期の本栖の夜は暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い気温だった。
ベトナムの民族衣装、アオザイを着たお姉さんが現れた!! 何か売りに来たのかな?
デューク廣井大佐がモデルガンを発火!! たまや~!!
ベトナムの朝は早い。6時起床ではあるものの、すでに5時くらいから戦闘に備えて準備し始める人も。
そして一度やってみたかったアホカリでグッドモーニング・ベトナムを聴く。
朝8時ごろには当日組も含めて続々とナム戦装備の参加者が集結する。土曜日の夜と、日曜の早朝にゲームに参加する人は弾速測定を済ませておく。
そして部隊ごとに一列に並ぶその光景はまさに、圧巻!!
大会運営のデューク廣井さん(1st Cav)、酒井さん(MACV)。
エアガンで撃ちあうと言っても通常のサバゲーとはルールが異なる。弾に当たったら当然「ヒット」なんて言ったらダメ!! 1発当たった時は「メディーック!!」と叫び、2発目が当たったら「アイドンワナダーイ(I don't wanna die!)」と叫ぶルール。そうなるとメディックが助けに来るまで、その場から自力で移動はできず、デッドマーカーを着け、戦闘不能の負傷者として仲間に随伴されながら移動のみとなる。
また、基本的に本部からの無線でRTO(無線手)が指示を受け、分隊長に伝え、分隊単位で組織的に行動する。
開催前にはみんなでベトナムの方向に向かって黙とう。ベトナム戦争で亡くなったすべての方に。
こちらは北ベトナム正規軍の皆さん。
そしてベトコンの皆さん。
さっそく捕まっちゃってます!!
女性の参加者も何人か見かけた。
SEALsの分隊はストーナーLMGを使用する者多し。タイガーストライプやリーフパターン迷彩。
こちらの隊員はドラムマガジンとワイヤーストックが装着されているストーナー。
XM148グレネードランチャー付のM16E1(M602)。
ARVN(南ベトナム軍)のみなさん。
ベトナム共和国陸軍、ARVNはM16以外にも様々な銃器が使用されていた。こちらの兵士はM1カービン。
さらにはトンプソンやBARまで!!
米海兵隊はM16A1も使用しているが、
やはりM14も欠かせない。
オーストラリア軍はL1A1 SLR。FALをベースに改修したイギリス軍採用ライフルで、オーストラリアでも採用されていた。長いw!!
SOG隊員は鹵獲したソ連製RPDのショートバレルバージョン。
また、こちらのSOG隊員はカールグスタフm/45、通称スウェディッシュKを使用。渋い!!
またS&W M76を使用している者もいた。
こちらのポイントマンは56式。LRP任務などで敵と出くわした時に7.62mm×39弾の音で敵を混乱させるといった目的で実際に使用されたそう。
こちらもM14に黒のファティーグを着用し、VCと出くわした際に敵味方の識別を鈍らせるという実際に当時行われていたスタイル。
ベトナムの特殊部隊御用達カービンのXM177E2。これはトレポンですな。
ナム戦定番のグレネードランチャーM79。
こちらも定番のロケットランチャーM72 LAWをブットパックに挟んでいる。
胸にライフルグレネードを付けてる兵士も。
101空挺隷下のコンバットエンジニアだろうか、地雷探知機を担ぐ兵士も。
ゲームは米軍の兵員輸送トラックが北ベトナム軍に襲撃されるところから始まる。
プロフェッショナルによる本格的な爆破音が本栖、もとい、ベトナムに響く!!
そして捕虜を送り届けるだけのイージーなミッションは失敗。
戦闘に積極的に参加しなかった分隊(という設定)には、根性無しのプッシュアップw。
襲撃を受け、ベトコン捕虜に逃げられてさんざんな米軍に掃討任務が下る。各分隊長に地図が渡される。
この地図もなんかリアル!!
よっしゃ! ベトコンをせん滅しに行くぜ!! 手にするはM16!!
と、本部から手渡されたのは各分隊にたった200発の弾。えー、これで戦うの~? 兵士からは不満の声が!!
ちなみにベトコン側は弾数無制限という羨ましいルール。きっとホーチミンルートから大量の弾薬補給を受けているに違いない。
RTOの後姿がゴツくて好き。
ありゃー、いまの襲撃で戦死者が出ちゃいましたか。
従軍司祭が仲間を弔う。これ、ボディバッグの中に本当に人が入っていて暑そうだった!!
兵員輸送車へ乗り込んで前線へ移動する。
前線で降ろされる第25歩兵師団。いわゆる映画『プラトーン』のあの部隊。
アホカリ人気の米軍部隊としては第1騎兵師団、第1歩兵師団、第25歩兵師団、第101空挺師団、第173空挺旅団、米陸軍特殊部隊(SOG)、米海軍特殊部隊(SEALs)、米海兵隊などが大所帯。
また、南ベトナム軍(ARVN)、北ベトナム正規軍、オーストラリア軍、韓国軍、もちろんブラックパジャマなどなど、各々好きな部隊に所属できる。
SOGはフィールド外周に沿って境界線を引くという、LRPのような過酷な任務。MACV本部に本気で不満を漏らしながら行動するところがまたリアルw。
気温32度、炎天下の本栖...、いや、ベトナムのジャングルを進軍する。虫ジュース、塩タブレット、水筒必須。日焼け止めも塗っておこう。
富士山が綺麗だねぇ。えっ? ケサン高地だって?
おっとベトコンと遭遇!! 米兵が倒れてる!
あー米兵が捕虜になっちゃってる。
AKが吠える!!
このVCはモーゼル98Kにコルトのガバを使用していた。
敵はどこだ!? ベトコンの襲撃に慌てる第1騎兵。
MACV(南ベトナム軍事援助司令部)の前線本部では無線で各部隊に指示を出す。
SEALsのみなさん。タイガーストライプ迷彩がお似合いです。ショットガンも渋い!!
SOGの皆さん。ポケットをジャケットの袖に移設している。
海兵隊の皆さん。
韓国軍のみなさん。右の兵士は本当に韓国の方なのだそう。
M60は重たいのでピッグと呼ばれていた、とか思い出した。
重くて使いにくいM60のストックを取り外してストックキャップ仕様に。
ゲームを終えてベースキャンプに戻る頃にはみんなヘトヘト。子供がBB弾拾ってたりして、その光景もなんかリアル。
あらこんなところに怪しい村が。
ドバーン!! チェックを行っていたところに突然敵の襲撃が!!
熱風が感じられるほどの爆発!!
動画でどうぞ!!
参加した将兵の皆さん、お疲れ様でした!! ※クリックして拡大。
2日間の取材を終えてみての感想を。
アホカリというとものすごく敷居が高いイメージがあった。確かに昔は装備ひとつとっても、そのファティーグはリップストップの無い中期型じゃないとか、ビブラムソールの初期型ジャングルブーツじゃないとダメ、みたいな噂があったらしいが、すでに65年から68年頃の実物装備を揃えるのはかなり困難になってきている。アホカリプスではレプリカでも全然OKだし、少々製造年が前後していても、雰囲気が崩れない範囲であればOKと運営のデューク廣井さんは語る。
参加者は新参者や初心者にもやさしく対応してくれて、話しかけると詳しく教えてくれる人がほとんど。
ただやっぱり装備にこだわる人達の集まりなので、生半可な知識で接すると厳しい態度をとる人もいなくもないので、そのあたりは注意が必要だとも感じた。
参加者をみると圧倒的に男性が多く、世代的には40~50代のナム戦ブーム世代が多い。ただ、20代、30代の若い世代も少なからずいて、それぞれの装備を見ているとかなりディティール再現にこだわった部分も見られる。
女性や子供にも楽しめるイベントかというと、リエナクト、ヒストリカルゲーム特有の生々しい表現もあるので、そういったものがお嫌いじゃ無ければ是非どうぞ、言ったところだろうか。
運営で言えば安全面や周囲への配慮はかなり気を使っているし、会場的にも隔離されている場所で、仮設トイレも設置されている。食料はもちろん自分たちで持ち込みし、ゴミは持ち帰るというキャンプのルール。
基本的には自分たちで工夫して楽しもうというスタンスなので、ショー的演出は日曜の爆破シーンくらいだが、前夜に60年代ソングのステージショーなんかあったら楽しいだろうし、以前にはそういったこともやっていたようだ。ここらへんは集客と費用の問題になるだろう。今回は約200名の参加者だったが、最盛期はなんと900人の参加があったとのことだ。
ベトナム戦争終結から50年近くが経ち、一時期のナム戦ブームも過ぎ去った現在、アホカリプスが最盛期のように再び盛り上がるには、運営や古参がアホカリ興味層に対してどれくらいPRできるか、また新規参加者に対してどれくらい親身になれるかというのもカギになるのではと感じた。
いずれにしても初めてのアホカリプスはとても楽しめた。なにより、ミリタリーの話題で盛り上がれる仲間同士で一泊して、翌日みんなでお揃いの装備とテーマでゲームをする、これはぜひ一度体験してもらいたいイベント。
それと参加の前にはベトナム戦争映画を一通り鑑賞しておくことをお勧めする。
地獄の黙示録 (1979)
フルメタル・ジャケット (1987)
プラトーン (1986)
ハンバーガー・ヒル (1987)
ワンス アンド フォーエバー (2002)
グリーンベレー (1968)
チャーリーモピック (1988)
■関連リンク
STORY TIME: 地獄の黙示録