『米軍から見た沖縄特攻作戦─カミカゼvs.米戦闘機、レーダー・ピケット艦』


『米軍から見た沖縄特攻作戦─カミカゼvs.米戦闘機、レーダー・ピケット艦』
(ロビン・リエリー著/小田部哲哉訳・A5判420ページ・定価税込み2970円・並木書房)

出撃後、日本陸海軍機はどう戦ったか? 知られざる特攻機の最期を米軍の戦闘日誌、証言で再現する!

本書は、日本本土および台湾を出撃した日本陸海軍の特攻機が、米戦闘機とどう戦い、米艦艇に突入していったか、その最期を明らかにしたノンフィクションです。
1945年4月に始まった沖縄侵攻にともない、米海軍は沖縄に上陸した陸軍、海兵隊、海軍艦艇を守るため、沖縄周辺の海域に21か所のレーダー・ピケット・ステーション(RPS)を設定し、レーダー・ピケット艦艇(RP艦艇)を配置しました。
日本軍機は沖縄の米軍を攻撃しようとしても途中で、これらRP艦艇に探知されるため、まずRP艦艇を攻撃する必要がありました。また、空母や戦艦、巡洋艦などの大型艦では損傷しか与えられませんが、小型艦艇なら撃沈できるため、RPSに配置された駆逐艦と小型艦艇部隊が日本軍機の最大の目標になりました。
その結果、RPSに配置された艦艇206隻のうち15隻が沈没し45隻が損傷。損害を受けた艦艇の比率は29パーセントに達しました。人員の損害も戦死者1,348名、負傷者1,586名という甚大なものでした。もちろん日本側も多大な犠牲を払いました。その戦いの様相は下記の記述からも明らかです。

数分後、零戦1機が右舷正横から飛来した。零戦は胴体とエンジン・カウリングに多くの砲弾を受けた。エンジンが停止し、パイロットはおそらく戦死したようで、機体は横転して駆逐艦ハリー・F・バウアーの右舷正横23mの海面に激突した。
すぐに2機目の零戦が同艦に突進して来た。艦の40mm4連装機関砲が砲火を浴びせ、零戦は炎に包まれながら西に向かった。おそらく視程外で墜落したであろう。
ほぼ同時に3機目の零戦が突進して来た。すべての砲がこれに向かって射撃し、距離1,800mで火を噴いたのを目撃した。駆逐艦の見張員は、零戦のパイロットは死亡して艦の2番煙突の上を通過して左舷方向70mの海面に激突したと証言している。攻撃してきた戦闘機がいずれも機銃を装備していなかったことから、これらは特攻機のようだった。

武装を持たない特攻機は米戦闘機に勝ち目はありません。作戦が進むにつれ、複葉機や練習機が特攻に用いられ、パイロットも経験不足でした。3章以降、時系列に戦闘の様相が詳述され、いずれも淡々とした記述ですが、それだけに戦場の実相が伝わってきます。「第2次大戦で最も困難な海上任務の1つであった」と著者が言うように、日本軍機も米艦艇・米軍機もよく戦い、一部を除き多くの特攻機は米軍の濃密な迎撃態勢の前にその目的を果たすことができなかったという事実は胸に迫ります。
本書は、今までほとんど明らかにされることのなかった日本軍機の最期を米軍の戦闘日誌、戦闘報告等に基づき克明に描いたものです。