1897年3月6日ハルツのカンデルスハイムに生まれた。彼は1909年にベンスベルクにあるプロイセンの仕官学校へ入学した。更に1914年には、ベルリンにあったプロイセン王国高級幼年士官学校へ移籍した。
第一次大戦では1914年8月にバーデン大公国軍の野戦砲連隊に配属され活躍し、1915年1月に少尉に昇進し、1級鉄十字章を授章した。
ドイツ敗戦後、ギレは軍隊を除隊し、農業管理人などの職に就いた。1922年から26年にかけては鉄兜団に参加し、1929年から1933年までは自動車関係の仕事をしていたという。
1931年には親衛隊に入隊し、1933年4月20日には親衛隊少尉に昇進した。1934年5月29日には武装親衛隊の前身である親衛隊特務部隊の第一特務連隊「ドイチュラント」に配属されていたが大尉に昇進した後、1936年10月に第二連隊「ゲルマニア」に転属した。
第二次大戦が始まる39年にはSS装甲部隊のSS砲兵連隊の第1大隊指揮官としてポーランド、西部戦線で戦う。
1940年フェリックス・シュタイナー大将の目にとまり、第5SS装甲師団「ヴィーキング」の砲兵連隊の司令官に命じられた。
ヴィーキング師団の強さはソ連軍にとっては恐怖の的であり、ヴィーキング師団の強さは敵・味方に知れ渡っていた。それだけ兵士達は勇猛果敢に戦った。
やがて物量に勝るソ連軍に押され、ヴィーキング師団も後退を強いられていた。1944年1月から2月にチェルカッシー付近でヴィーキング師団を含む5~6師団はソ連軍に包囲された。その中でもヴィーキング師団は奮戦し、中心になって戦い、ドイツ軍は包囲網を突破した。ギレはこの功績で1944年4月にSS軍人初である騎士鉄十字章のダイヤモンド章を授章した。この勲章はドイツ軍でも27人しか受章していない貴重な勲章だった。
ギレは1944年8月から第4SS戦車軍団司令官となり、ワルシャワ攻防戦、ハンガリーなどで戦うが、ソ連軍の圧力を押し返す力が既に残っていなかった。1944年11月にギレは大将に昇進したが、軍団は後退を続けオーストリアを越えると1945年5月にはアメリカ軍に降伏した。ギレは1948年5月に解放され、戦後は西ドイツの新聞社で働いていたが1966年に心筋梗塞により死亡した。
(藤原真)
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