第二次大戦当時、両国に共通していることがある。それは両国とも4発機爆撃機を製造しなかったことである。今回はその理由が何故だろうか検証したいと思う。
ドイツの場合は第一次世界大戦でドイツは ツェッペリン・シュターケンRⅤⅠなどの4発エンジンを搭載した大型爆撃機を製造し、1~2トン爆弾を搭載して、ロンドン空襲などに参加している。
ドイツの敗戦後、ドイツはベルサイユ条約によって軍備を禁止され、1935年のヒトラーの再軍備までに兵器の開発は禁止されていた。その分ドイツはイギリス・アメリカなどに比較して4発機の開発が遅れた理由があった。ただし、ルフト・ハンザなどでは4発機旅客機「ユンカースJu290」を開発していたが、ドイツ軍はこれらを徴集して、性能上輸送機としてしか使用していない。
また、ドイツ空軍は基本的に戦術空軍であり、軍備再建時にドイツ空軍は陸軍に対する戦術支援を基に編成された。また、当時軍部は大陸国のドイツは周囲を国に囲まれており、爆撃機に長大な航続力を持たせる必要性がないと思われていた。大戦初期に大活躍したユンカースJu87爆撃機などで充分満足していたと思われるのである。
更にドイツ軍部は戦争が比較的に短期間で終わると思われており、イギリス、アメリカの様に、長大な航続距離を持つ戦略爆撃機を持つ必要性がなかったと思われる。
大戦後期になるとドイツでも4発爆撃機の重要性を認識してHe117を開発したが、満足な性能を得られなかった。更にドイツでは4発機を製造する満足な施設がなかった。
これに対して日本軍も同様に大戦では戦術空軍として軽爆撃機を使用した。だが、日本は1937年にアメリカからダグラスDC・4Eを輸入した。これが当初からの欠陥機で、アメリカは始めから欠陥機を売ったと言われている。更にこれを基に作られた試作機は「深山」と名づけられたが、搭載エンジンの馬力不足や、振動問題などに悩まされた。結局採用は中止されて、試作機は輸送機として使われたと言う。
また、日本は1944年に捕獲したアメリカ軍のB17を参考に4発機「連山」を作ったが、これも試作機で終わっている。
更にアメリカ本土爆撃用に6発機爆撃機「富嶽」を試作しようとしたが、当時の日本では搭載予定の5,000馬力エンジンなど開発できる技術はなく、机上の空論で終わっている。
日本はドイツ以上にアメリカ・イギリスとの間には工業力の差があり、その穴を埋めることが最後まで出来なかったのである。
単純にドイツ・日本両国に言えることは、戦争初めからイギリスやアメリカの様に、4発機を作る必要性を持っていなかったことにある。更に戦略的兵器として4発爆撃機の必要性に気付いたのが遅すぎた。
そうして両国共に4発機爆撃機の必要性に気付いた頃、既に戦況は悪化し、開発する為の資材を見出せなかった事が原因であると思われる。
(藤原真)
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