ドイツ戦車解説 Ⅲ号突撃砲

Sturmgeschütz III (Ausgestellt im Militärhistorischen Museum der Bundeswehr in Dresden) Datum12. Juni 2005 (Original-Hochladedatum) QuelleOriginally from de.wikipedia; description page is/was here. UrheberOriginal uploader and author was Darkone at de.wikipedia

Sturmgeschütz III (Ausgestellt im Militärhistorischen Museum der Bundeswehr in Dresden)
Datum 12. Juni 2005 (Original-Hochladedatum)
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Ⅲ号突撃砲とは、Ⅲ号戦車の車体を流用して製作された歩兵支援用兵器である。その開発は1936年に遡る。当時、軍がダイムラーベンツ社へその開発を命じた。その際搭載砲は75ミリ砲を搭載すること、その全高は当時の歩兵の平均身長を越えないことが要求されていた。

戦車と突撃砲の大きな違いは、突撃砲には砲塔がないという点である。その分、車体内部が広く居住性が良い。搭載砲の選択も余裕がある点が利点であるが、砲が左右に回転しない為に、基本的に砲は前方にしか撃てないという欠点もある。だが、製作コストや時間が戦車よりも安価で早かったので、大量に生産することが出来た。

当初のⅢ号突撃砲は戦車という扱いをされておらず、搭乗員も砲兵科の所属となっていた。搭載砲も24口径の75ミリ砲を搭載し左右の射角も25度取れるようにされた。その全高は僅か2.16メートルで敵から発見されにくいという利点を持っていた。

Ⅲ号突撃砲は1940年から生産が開始され、フランス戦にも参加している。主に歩兵の直接支援を目的とし、敵のトーチカの破壊などで活躍した。その後、独ソ戦が開始されると、Ⅲ号突撃砲の運用にも大きな変化が生じたのである。

当初は歩兵直接支援を目的として開発されたが、ソ連軍の新型戦車であるT34中戦車が戦場に登場すると、50ミリ短砲身搭載のⅢ号戦車では、T34中戦車を撃破することは困難であった。その為に、75ミリ砲搭載のⅢ号突撃砲がT34中戦車との戦闘には有効と判断されて、対戦車戦闘にも使用されるようになったのである。

その後1942年春には、それまでの24口径75ミリ砲が42口径へと換装された。更に1942年秋には、48口径の長砲身砲が搭載されて、ソ連軍の誇るT34中戦車を600メートル以上の距離から撃破出来る様になった。

Ⅲ号突撃砲で一番多く生産されたのがG型であり、その基本性能は乗員が4名、最大装甲厚は80ミリであった。重量は23.9トンで、300馬力のエンジンは最高速時速40キロを出すことが出来た。その行動距離は155キロという物であった。その総生産数はドイツ軍では最多である、約10,500両が生産された。

戦争中期からドイツ軍は、慢性的な戦車不足の状況となっていた。やがて装甲師団は、Ⅲ号突撃砲を戦車の代用に配備して運用した。それはドイツ国防軍のエリート師団であるグロス・ドイチュランド師団にも配備されていた。

Ⅲ号突撃砲が最も活躍がしたのは、皮肉にもドイツ軍が防御戦へ以降してからであった。Ⅲ号突撃砲の低い全高も、待ち伏せて敵を叩く防御戦闘には有利であった。Ⅲ号突撃砲は実際に、ドイツ軍戦車の中で最も多くの敵戦車を撃破したと言われている。

実際に3号突撃砲は、歩兵から最も頼りにされたと言われている。それは敵の主力戦車であるT34中戦車から歩兵を守る盾となることが出来たからである。

そしてこれら数多くの戦車長達は、ドイツ軍の最高勲章である騎士鉄十字章を受章している。

(藤原真)