歩兵用対戦車兵器として大活躍した「パンツァーファウスト」

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第一次大戦時に登場した戦車は、当時の歩兵にとっては何ら有効な攻撃手段を持たない脅威であった。仕方なく野砲を対戦車砲に転用したり、或いは収束地雷などで攻撃をしたが、これには決死的な覚悟が必要であった。

第一次大戦後、各国は対戦車用の歩兵兵器を開発した。ドイツでは1930年代に本格的な開発がされ、PzB38とPzB39の2種類が開発された。これは俗に対戦車銃と呼ばれる兵器で、これらの特徴はタングステンを芯に使用した7.92ミリの弾丸を高初速で撃ち出して、戦車の装甲を撃ち抜く物で、ポーランドなどの緒戦ではそれなりの威力を発揮したが、特に戦車の能力向上はそれを大幅に上回っていた。

特に前面装甲が70ミリを超えるような戦車に対しては全くの無力であった。ドイツ軍では1942年のアフリカ戦線で、アメリカ軍が使用していた「バズーカ砲」を捕獲した。

それはそれまでドイツ軍が目にした事のない兵器であった。ドイツ軍では早速アメリカ軍の「バズーカ砲」を参考にした対戦車砲を開発し、1943年から対戦車用兵器として実戦投入された。これは8.8cmRPzB43と命名され、8.8cmの砲弾を打ち出す物で、最大160mmの装甲貫通力があった。

更にドイツ軍は1942年辺りから簡易な使い捨て対戦車用兵器を開発しており、1943年6月頃から実戦に投入されている。これが「パンツァーファウスト」と呼ばれる兵器である。最初の型は「PANZERFAUST 30K」であり、特徴としては取扱いの安易な無反動砲であった。

それらには簡単な照準器とトリガーの付いた筒の先に、折り畳み式翼を持つ弾頭が装着され、発射推進薬は筒の中にセットされており、発射ガスが弾頭を押し出すと同時に、筒の後方にも同様なガスが噴出す為に、後方の者は特に注意が必要であった。

低速度で発射された弾頭は戦車の装甲板に当たると、炸薬の全ての爆発エネルギーが空洞のコーンと呼ばれる円錐形の先へと集中して、高温な燃焼ガスが戦車の装甲を溶かす「モンロー効果」を利用したもので、最大で140mmもの装甲を貫通する威力があった。

更に30Kよりも更に威力を向上させたモデルが開発され、「PANZERFAUST 30」と名づけられたが一般的に「ファウストパトレーネⅡ」と呼ばれた。これは最大200mmもの装甲を貫通する威力があったが、より大型の弾頭を敵戦車に命中させるにはかなりの技量を必要とした。

また、パンツァーファウストの有効射程距離は僅か30mであり戦場から、より射程距離のあるパンツァーファウストが求められた。やがて「PANZERFAUST 60&100」が開発されて、1944年夏辺りから戦場に投入されている。これは最大射程が60&100mに延長されたものであった。

パンツァーファウストは戦場で大量に使用され戦果を挙げたが、戦争末期になり戦局の不利になったドイツでは1944年9月に、祖国防衛に民間人を動員し「国民突撃隊」を編成した。

その中にはヒトラーユーゲントに所属していた12歳の少年兵や、60歳を超えた老人も含まれていた。実際にヒトラー総統自らが、二級鉄十字章を授与する少年兵の記録動画が残されている。彼等は簡単な操作方法だけを教わり、最悪パンツァーファウストを1本だけ持たせられて、祖国防衛に参加したのである。

(藤原真)