1943年7月25日、これまでの各戦場での敗北の責任を取らされたムッソリーニは大評議会によって首相の座を解任され、逮捕された。そして居場所を様々な場所へ変えながら、最終的にはイタリア半島のアぺニン山脈の山頂にある、グラン・サッソのホテルに幽閉された。
元々ヒトラーはムッソリーニを盟友と捉えており、彼の救出作戦を練った。調査の結果ムッソリーニがグラン・サッソのホテルに幽閉されていることを突き止めたが、一説では占い師によって場所の情報を得たとも言われている。
そしてその任務を与えられたのが、武装親衛隊所属のオーストリア人であるオットー・スコルツェニー少佐であった。彼の頬には学生時代に決闘で出来た大きな傷が特徴のある大男だった。その救出作戦は「アイヒ(柏)作戦と呼ばれ、1943年9月12日に作戦は決行された。作戦に参加したのは空軍に属する降下猟兵およそ90名からなるコマンド部隊であった。彼等は12機のグライダーに分乗し、グラン・サッソのホテル側に着陸した。だが、4機のグライダーは不時着しているが、僅かな負傷者が出た程度だった。
しかも奇跡的なことに、ムッソリーニを護衛していた兵士達へ、1発の銃声を発することもなかったと言われている。一説によると彼等は恐れをなして逃げ出したとも言われている。ムッソリーニは無傷で救出され、近くに着陸していたFi156小型偵察機に乗り込み、グラン・サッソを脱出した。その際、小型機にムッソリーニとオットー・スコルツェニーの巨体が乗った為、Fi156はぎりぎりで離陸飛行したという。また、他の兵員達も各自ロープウェイで脱出した。
このムッソリーニ救出作戦は世界中に衝撃を与えた。それは1人の死者も出さずにすばやく用意周到に計画された作戦が、実行されたことであった。その作戦の成功でオットー・スコルツェニーは中佐に昇進し、騎士十字章を授章した。
また、ムッソリーニ救出劇はナチスによって誇張に宣伝をされた。その結果オットー・スコルツェニーは「ヨーロッパで最も危険な男」という異名を得た。
その後ムッソリーニは、ドイツ軍が占領していた北イタリアにイタリア社会共和国の国家元首となったが、所詮はドイツの傀儡政権に過ぎず、その結果イタリアは二つに分裂して内戦状態となったのであった。
(藤原真)