1945年4月30日、午後3時20分から40分の間に、ヒトラーはベルリンの総統官邸の地下壕において、ヒトラーとエヴァ・ブラウンは自殺をした。
エヴァは毒をあおり、ヒトラーは拳銃で自殺をしたと言われるが、彼が何処を撃って死んだのかには諸説がある。彼の遺体を見た親衛隊大佐のギュンシュは、ヒトラーは左のこめかみを撃ったと言っているが、ヒトラーは左手が麻痺しており、それは現実的に無理だと言われている。イギリスの歴史家であるトレバー・ローパーは口の中を撃ったと主張している説が正しいとも言われている。
その後二人の遺体は毛布に包まれ、中庭に運ばれた。ヒトラーの遺書に従い、遺体には大量のガソリンを掛けられて火葬された。その後砲弾の穴に埋葬されたと言う。
ヒトラーは盟友のムッソリーニの遺体が、死後にミラノの広場に逆さ吊りにされ、イタリア群集によって辱めを受けたことに強い危惧を抱いていたと言う。自分の遺体は誰にも見つからない様にして欲しいと頼んだのは、ムッソリーニの遺体の件があったからである。
その後、ベルリンに乗り込んできた赤軍兵士たちはヒトラーの遺体を必死になって捜した。3日後になって焼け焦げて炭化したヒトラーの遺体が発見されたと言うが、遺体の損壊が激しくて、それがヒトラーの遺体かどうかは確信が持てなかった。結局、ヒトラーが1944年に暗殺未遂事件の際に撮影した頭部のレントゲン写真が決め手となり、ヒトラーの遺体だと断定されたと言う。
しかし、ヒトラーの遺体について、遺体を検死したのはソ連軍のみであり、西側諸国は死因についても詳細を知らされずに居た為に、ヒトラー生存説が生まれたのである。
1945年5月5日に、スターリンの特殊部隊によってモスクワに持ち出されたヒトラーの頭部と顎の骨の内、頭部は現在モスクワの公文書保管局によって保管されているが、その頭部の骨には銃弾による穴が開いており、完全な状態ではない。2009年にアメリカのコネチカット大学によってDNA解析を行った結果、20~40代の女性の頭骨だと言う結果が出ている。
顎の骨に関しては、現在ロシア連邦保安庁によって保管されているが、それについてはヒトラーの歯科助手がヒトラーの物だと認めていると言うが、科学的な解析はされていない。
いずれにせよ、西側諸国はソ連軍の公表したヒトラーの頭部と顎の骨に関して、その出所自体を怪しいと見ていると思われる。本当のヒトラーの遺体は、果たして何処に眠っているのだろうか。
文章 藤原真