ルドルフ・ヘスが単独渡英をした理由

メッサーシュミットMe110重戦闘機

メッサーシュミットMe110重戦闘機 (引用:wikipedia)

1941年5月10日午後6時過ぎ、当時ナチスの副総統であったルドルフ・ヘスは単独でメッサーシュミットMe110戦闘機に乗り、アウグスブルクを飛び去った。
ヘスの操る戦闘機は北海を抜けて、イギリスのスコットランドの海岸へと向かった。 途中で哨戒中のイギリス軍の戦闘機に遭遇したが、撃墜されることはなかった。
やがてグラスゴーの西15キロ、ダンガベル・ハウス付近の農場でヘスはパラシュートで降下した。彼の乗っていたメッサーシュミット戦闘機はそのまま地上に墜落炎上した。
午後8時半過ぎの出来事だった。
その後へスは民間防空団員によって身柄を拘束された。その際へスは自らをアルフレート・ホルン大尉と名乗り、ハミルトン公との面会を願い出た。
翌日、ヘスはハミルトン公と面会した際に、自分の正体を明かした。驚いたハミルトン公はヘスをブキャナン城に移して、政府と連絡を取った。その後、BBC ヨーロッパ部長アイヴォン・カークパトリックと面会をした。その報告を受けた英国首相のチャーチルはヘスを戦時捕虜として身柄を拘束した。ヘスの単独渡航 を知ったドイツ側は、ヘスは精神病であったと発表してことの収拾を図った。
こうした一連の行動の中、ヘスの単独飛行の目的とは果たして何であったのだろうか。
その回答の一つとして、ヘスはオカルトや神秘主義に強く傾倒していた事実が挙げられる。当時、ヘスはドイツの地政学者であったカール・ハウスホーファー教授 に師事していた。ヘスがイギリスのハミルトン公と渡英してまで会うことにしたのは、ハウスホーファー側の推薦であったと言う。

ルドルフ・ヘス

ルドルフ・ヘス (引用:wikipedia)

ヘスの真の目的とは、イギリスとの単独和平であった。ヘスは対ソ連戦へと向けて、イギリスと和平を結ぶことが目的の遂行には必要だと考えていた。
その橋渡しとして彼はイギリスへ単独で渡英したのであるが、ヘスの目的は果たせずに彼は戦後も生き延びた。1987年8月17日、ヘスはドイツのシュパンダウ刑務所内で首に電気コードを巻きつけて自殺したと伝えられている。
その数奇な運命から、現在もヘス暗殺説や替え玉説などが囁かれていると言う。
文章 藤原真