リアルグラセフ ~サンディエゴ戦車暴走事件~


有名な映像です。戦車がカリフォルニアの街を暴走し、その道をふさぐ全てのものを破壊してゆきます。

1995年5月17日にサンディエゴ州で起きたこの恐るべき事件は、壊れてしまった男、ショーン・ネルソンによる、自分の人生を嘲笑しながら死へと向かう行進でした。

この男がこのような行為に及んだ経緯は、実に奇妙なものです。

1990年。ショーン・ネルソンはオートバイ事故を起こし、入院した先で「望まぬ治療を強制された」として病院を訴訟し、1,500万ドルを要求しました。
1991年。妻、そして両親を失ったネルソンはアルコールと薬物に溺れてゆきます。
苛立った性格となり、対人関係上でしばしば問題を起こしました。93年には、何を思ったのか金や宝石を求め自宅の庭に穴を掘り始めます。

ご丁寧に郡に発掘の計画書まで提出し、穴の深さは4.6メートルに達しました。
上述のオートバイ事故以来、後遺症でそれまでしていた配管工の仕事が廃業となり、金は底をつき、家屋はさし押された頃、付き合っていたガールフレンドが死亡。
めまぐるしい速度で、凄惨に、悪い冗談みたいに景色を変えてゆくネルソンの日常。
アルコールと覚せい剤に溺れる生活のなか、1995年。
ショーン・ネルソンは行進のため、カーニーメサにある州兵器保管庫からM60パットン戦車を奪いました。

彼の暴走が始まります。

路上に現れた戦車は正に、無敵。ゲーム、グランド・セフト・オートをプレイしたことがある方なら何となく想像できるでしょう。
信号機、車、橋……目の前に現れる全てを、欲望・本能のままに破壊し続けたネルソン。
そして数十分にわたる暴走の末、戦車は車道の中央分離帯に衝突し、停止。
戦車に警官がよじ登り、操縦席のショーン・ネルソンに投降を命じましたが、ネルソンは無言。
ネルソンは射殺。…事件は終わりました。

さて。

戦車は、もう暴走はしていなかったにも関わらず、彼は何故、射殺されたのでしょう。
他に手段は無かったのか、と人々はざわめきました。
「警察は警察の仕事を遂げた」、射殺されたネルソンの弟はそう言いました。
「あのまま放置すれば、数十台の車両が踏みつぶされた」、警察署長は言いました。
投降に応じなかったネルソンは、これ以上の被害を出さないために射殺されたというわけです。
それは事実です。しかし、この時。中央分離帯に衝突して停止した戦車はキャタピラが外れており、もう暴走など出来ない事は一目瞭然だったのも、事実なのです。
こういった事件は、いくら話し合おうが善悪など一致しません。
あくまで個人的な意見です。賛成者が多いか、少ないか。ただそれだけの違いなのです。
たとえば、めちゃくちゃに壊れた自分自身の人生に対する怒りを、無差別に周囲へと向けたネルソンを責めたとしても、

あるいは、もう走る事が出来ない暴走戦車に、「被害拡大の可能性」を見出してネルソンを射殺した警察を責めたとしても、この事件はもう終わった事であり、少なくとも我々にできるのは、このような行動に出ないこと、それだけなのです。

やっぱり一番哀れなのは、ショーン・ネルソンに対し「彼は誰にでも救いの手を差し伸べたが、自分を救う事は出来なかった」とコメントした、

彼の弟。愛あるそんな立場の人々なのですから。