東京マルイ ワルサーMPK
写真&解説 小堀ダイスケ
解説
ボクがこのエアガンとはじめて出会ったのは、たしか高校3年生の頃だった。時代はまさにサバゲーブームの黎明期、友人達10数人でチームのようなものを結成し、日曜のたびに河原や雑木林で撃ちあっていたものだ。
当時はまだケースレスのエアガン自体が少なく、マルゼンのKG9などにカートキャッチャー(空薬莢を受ける布製の袋)を取り付け、薬莢をなくさないよう、常に気を配りながらゲームをするのが当たり前だった。
もちろん、ケースレス仕様のショップカスタムなどもあったし、自分で改造する手先の器用なゲーマーもいたが、10代後半の少年には、高価なカスタムを購入する財力も改造するノウハウもない。
そこへ彗星のごとく登場したのがマルイのワルサーMPK(MPL)だった。BB弾さえあれば、箱出しですぐに48連射が可能なケースレス仕様、しかも価格はなんと5,900円。頑張って小遣いを節約すれば、ギリギリ買える金額だ。
いざ購入してみると、ほぼプラスチック製で軽く、高級なエアガンに比べるとたしかにリアルではなかったが、サバゲー用としてはむしろ好都合だった。そしてこれがもっとも重要なことだが、当時、市場にあったどのエアガンよりも弾道が真っすぐで、いちばん良く当たったのである。
ホップアップなどまだ影も形もなかったあの時代、飛距離を伸ばすには、ピストンスプリングを強化するという改造が当たり前だった。そんな中、当然だがマルイのワルサーMPK(MPL)には、きわめて健全なスプリングが使われていた。
そのため連射速度も早く、極悪銃ゲーマーがフンッと力を込めてコッキングしている間に、3発は多く撃つことができた。ファイアパワーにすぐれ、命中精度が高いとなれば、夢のメインウェポンとしてヒットしないわけがない。
かくして、あっという間にサバゲー界を席巻したマルイのワルサーMPK(MPL)。しかし、酷使すると、コッキングハドルが根元からポッキリ折れてしまうという、致命的な欠陥があった。
そうなると完全に機能停止。ボクのワルサーMPKも壊れてしまい、その後どうなったか思い出せない。だが、エアガン史上に残るこの名銃の姿は、青春時代の思い出とともに、いまでもボクの脳裏に浮かんで来るのだ。
レシーバーが長く、ストックの付いていないMPLが最初に発売され、続いてショートモデルのMPKがラインアップに加わった。MPLは後に排莢式ガスガンとしてリメイクされている。トイガンとしてモデルアップされたのはこのシリーズが初であり、第二次大戦以降のサブマシンガンといえばUZIやMP5などしか知られていなかった当時のトイガン業界では、冒険ともいえる機種選定だった。
インナーバレルはアルミ製。当時としては高級なイメージだった。ホップアップのなかった時代、バレルは長い方がBB弾の飛距離も伸びると考えられていた。そんな中、MPLに人気が集中してしまうのを防ぐためか、ショートモデルであるMPKの方だけに折り畳みストックが装備されていた。
リアサイトはノッチ部分が山形になった独特の形状。2本のボルトをゆるめることで上下左右の微調整が可能。
セレクターは3ポジション。Sicher(安全)、Dauerfeuer(連射)、Einzelfeuer(単射)の頭文字が刻印されており、EとD両方の位置で発射可能。
エアコッキングガンとして操作しやすいよう、実銃より少々長くデザインされたコッキングハンドル。ボルトに直接ネジ込む構造だが、このネジ部分がよく折れた。焼き入れしてあれば良かったのだろうが、ギリギリのコストを探った結果だったと思われる。
MPKだけに装備されていた折り畳みストック。スチールプレス製でなかなか頑丈に出来ている。バレルの長いMPLにするか、多少、BB弾の飛距離を犠牲にしても(実際はほとんど変わらなかった)ストック付きのMPKにするか、悩ましいところだった。
マガジンは独特の2列給弾方式で、1列目の24発を撃ち終えたらロックを解除し、2列目の24発を装填するという仕組み。
パッケージ上箱の印刷を2色刷りにすることで、コストが抑えられていたと考えられる。それにより、かえってサブマシンガンの持つクールなイメージが増しているのはさすがだ。
本シリーズはワルサーMPL/MPKをはじめとして、その後MP5、UZI、M16などシリーズを拡大し、ポンプアクション化したバージョンも発売された。
DATA
発売年 | 1985年12月 (MPL) 1986年春 (MPK) |
発売時価格 | ¥5,900 |
全長 | 実測 660mm / 370mm (ストック折畳時) |
重量 | 実測 1,465g |
バレル長 | - |
発射方式 | コッキングエアー |
使用弾 | 6mmBB弾 |
装弾数 | 24発+24発 (リザーブタンク約150発) |
平均初速 | 68.4m/s |
撮影協力:サタデーナイトスペシャル
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