ドイツ戦車解説 Ⅵ号B型重戦車ティーガーⅡ

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Tiger II at the Bovington Tank Museum. Author Hohum.

第二次世界大戦に登場した戦車の中でも、最強の戦車と言われているのがティーガーⅡである。71口径88ミリ砲を装備し、当時の連合国には特に西部戦線ではティーガーⅡに対抗できる戦車は存在しなかった。

この戦車の開発は1943年1月にヒトラー自ら、71口径88ミリ砲搭載の新型ティーガー戦車の開発を命じたことに始まる。車体前面150ミリと、側面80ミリの装甲厚を持ち、パンター戦車と同様に避弾経始の優れた形状を持っている。

外見上、ティーガーⅠよりもパンター戦車と形状が似ているのは、当時開発中であったパンターⅡと部品の共用をする為であったが、パンターⅡは生産されずに終わっている。本車の開発にはヘンシェル社とMAN社が共同で行い、1943年10月に砲塔のない試作車が完成し、11月18日に初めて砲塔が完成しての、本格的な試験が始められた。

その頃、戦場からパンター戦車の曲面した砲塔の防盾に当たった砲弾が滑って車体上面を直撃するという報告が届けられており、これに対処して当初はポルシェ社の製造した砲塔の発注は1943年12月6日に中止され、以後はヘンシェル社の開発した新型砲塔が搭載された。

しかし、生産車の最初の50台はポルシェ社の砲塔を搭載している。生産車は1944年1月に完成し、6月から実線部隊での配備が開始された。1944年末には砲塔を搭載した戦車の生産はパンターG型とティーガーⅡのみにすることが決められているが、ティーガーⅡの生産工程はパンターG型の2倍以上が必要とされた為、実際にはパンターG型戦車の生産が優先された。

ティーガーⅡは5名の乗員と重量69.8トンを誇り、700馬力のエンジンは最大時速38キロを出すことが出来た。その行動距離は170キロであった。その生産数は489両と言われている。

実際のティーガーⅡ重戦車は、20トンも軽いパンターG型と同じエンジンを搭載した為に、そのアンダーパワー感は否めずに、ガソリン1リットルで走行出来る距離は僅か200メートルだったと言われている。

実際に戦場では、陸軍と武装親衛隊の独立戦車大隊に運用されて、ティーガーⅠとの混用が行われている。実戦では西部戦線において第503重戦車大隊所属のティーガーⅡが1944年7月18日にノルマンディ上陸作戦時の戦闘が初陣であった。45両のティーガー戦車の内12両がポルシェ社砲塔のティーガーⅡ戦車であった。

東部戦線では第501重戦車大隊が45両のティーガーⅡ戦車を受領、1944年8月12日のヴィスワ川上でのバラノフ橋頭堡での戦いに使用された。更にバルジの戦いでは、パイパー戦闘団にSS第501戦車大隊に所属のティーガーⅡ戦車約20両が参加したとされている。

だが、実際のティーガーⅡ重戦車はその余りにも重い重量のために、貧弱な道路を通過中に道路が陥没して動けなくなった為に放棄されたり、更には重量から起因する機械的な故障が頻発して、戦闘に参加する前に放棄される場合も多かったという。

実戦ではその前面装甲を貫通されることはなかったと言われるほどの重装甲を誇った。その戦闘力は極めて高く、作戦中のティーガーⅡ重戦車は連合国から「キング・タイガー」或いは「ロイヤル・タイガー」と言われて非常に恐れられた。

(藤原真)