世界で名銃と呼ばれる拳銃は幾つもあるが、その中でもドイツのワルサーP38は、近代拳銃の傑作と呼ばれる程に人気のある拳銃である。まずはワルサーP38が誕生した当時の開発の経緯などを辿ってみよう。
第一次世界大戦時のドイツでは、現在でも名銃と言われるルガーP08が1908年に正式拳銃として採用されて、大量に使用された。この銃は強力な9ミリパラベラム弾を使用し、非常に命中精度が優れたバランスの良い拳銃であった。ちなみにP08のPはピストーレの略である。
しかし、この銃には欠点があった。それは当時の塹壕戦などに使用された際、その独特なトグルアクションから、埃や砂などに極めて脆く、動作不良を度々起こしたのである。
ルガーP08はそれでも基本性能の高さから、ドイツ空軍では第二次世界大戦の最後まで正式採用銃として使用され、その生産数は200万挺を超えている。
第一次世界大戦後に陸軍最高司令部はルガーP08よりも信頼性の高い銃の開発を命じた。それに呼応したのがワルサー社であり1929年には、ダブルアクション式ブローバック方式を採用した32口径のワルサーPP、後続に38口径のPPKが開発されるや、早速警察などで採用されたが、32口径や38口径の使用弾の性能が問題となった。軍で使用するには、射程や威力が貧弱だと判断されたのだ。そこで開発されたのがP38である。
P38ではPPやPPKの技術を生かし、1936年にはハンマーを内臓式にした9ミリダブルアクション式のアルメー・ピストーレが開発されたが、軍の反応からハンマーを露出式にしたヘーレス・ピストーレを1937年に開発し、1938年にはピストーレ38として正式採用されたのである。
P38の採用によって、ドイツ軍は近代的な量産拳銃を手にすることが出来たのである。
実際P38は戦場での信頼性、実用精度などでP08を凌駕していた。更に、生産コストもプレス部品を多く使用するなど、使用部品の簡易化によってP08の半額のコストで生産することが出来た。
やがて戦争が本格化するとドイツ国内ではワルサー、モーゼル、スプリーヴェルクによって生産され、部品の一部はベルギーのFN、チェコスロバキアのブルーノでも生産された。だが、これらの工場ではユダヤ人を工員として労働に従事させていたこともあり、中には故意に欠陥部品を納品する例があったという。
P38は1945年の敗戦までに125万挺もの数が生産された。更に戦後には新生ドイツ国防軍によって合金フレームを使用したモデルがピストーレ1として採用され、近年まで主力拳銃として使用されていた。
大戦中P38は主に下士官や、一般兵士に愛用されたという。一般将校は携帯に便利な小型拳銃を好んだとも言われている。
また、当時のアメリカ兵達にとって、ワルサーP38は戦利品として一番人気があったという。P08は彼等にとっては観賞用として保管されたが、P38は彼等の良き護身用拳銃として使用されたそうだ。
(藤原真)