第二次世界大戦時、ドイツ軍兵士達の胸に輝く鉄十字章を、写真などで拝見された方も多い事と思われる。鉄十字章は言わばドイツ軍の象徴的な勲章であった。その成り立ちや歴史は果たしてどのような物だったのだろう。
鉄十字章が誕生したのは、まだドイツが分裂国家だった頃の一つの国、プロイセンにおいて当時の国王であるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の時代であった。それは1813年3月17日に制定された。当初はプロイセンの国家色である黒と白のリボンを十字に合わせた物で、俗にバンドクロイツと呼ばれたが、その3ヶ月後に現在まで伝わる金属製の鉄十字章が生まれた。
そのデザインを手がけたのが当時の建築家である、カール・シンケルだと言われている。また、国王のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世もデザインに参加したと言われている。
鉄十字章の材質は鉄製のコア部分を銀のフレームで被い、それを銀蝋で接着し、更に、接続部分をヤスリで研いでバリを落とすと言う物だった。サイズも決められており、縦×横のサイズが45ミリ×45ミリとされていた。制作費もかなり高価であったと伝えられている。
そもそも鉄十字章の誕生の裏には、当時のドイツは対仏戦争に敗北しており、実質ナポレオンの支配下に置かれていた。その後ナポレオンは1812年に対ロシア遠征に失敗したのだが、翌年にはドイツでもナポレオンからの支配を打倒する解放戦争が開始された。その国威発揚的な意味合いで鉄十字章は開発されたと言われている。
鉄十字章はプロイセンの伝統を受け継ぐ勲章として、ドイツでは特別視されてきたといっても過言ではない。
ヒトラー政権下の1939年に制定された鉄十字章は、表面部分の模様がそれまでの鉄十字章とは異なり、それまでの鉄十字章にあった表面上部の王冠の模様が消えた。更に中央のWの文字が鍵十字に変更され、その下には制定された年の1939と年号が入れられた。
また、第2級鉄十字章と、後に制定された騎士鉄十字章の裏面の下部には、最初に制定された1813の年号が入れられていた。
更に通常の第2級鉄十字章、第1級鉄十字章の上位に騎士十字章が追加され、首から下げる方式を取った。その大きさもそれまでの直径45ミリから48ミリへと拡大されている。更に上位には大十字章の4つが制定されたが、大十字章はかのヘルマン・ゲーリングのみが授章している。
やがて戦争の拡大によって騎士十字章にも更に4つの等級が追加された。1940年には柏葉騎士鉄十字章、1941年には剣付き柏葉騎士鉄十字章、その上位にダイヤモンド剣付き柏葉騎士鉄十字章、1944年には更に上位に黄金ダイヤモンド剣付き柏葉騎士鉄十字章が制定されている。
当時のドイツ軍では、騎士鉄十字章に憧れる軍人が多く、彼等は他の兵士から「喉に病気を持つ者」と言われたという。その授章基準も厳しく、普通の戦闘行為では当然騎士鉄十字章には届かず、部隊を敵の攻撃から救うなどの英雄的な行為が必要であった。
更に、授章者の多くは空軍戦闘機のエースパイロットや、戦車や突撃砲のエース搭乗員などが多く、国の戦争に対して、いかに貢献したかを授章には求められたという。
当時の或る砲兵照準手二等兵は、敵の戦車の攻撃から部隊本部を守り抜いた功で、騎士鉄十字章を授章したが、彼は他の鉄十字章を授章していなかった。そんな場合は同時に第1級鉄十字章、第2級鉄十字章が同時に授章されたという。
ちなみに日本人で騎士鉄十字章を授章したのは、海軍の山本五十六連合艦隊指長官と古賀峯一連合艦隊指令長官の2名が殉職された際に授章している。
(藤原真)